「アメリカ型成功者の物語」ゴールドラッシュとシリコンバレー

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アメリカ型成功者の物語

ゴールドラッシュとシリコンバレーの関係、わかりますか??

この2つは偶然にカリフォルニアで起きたのではありません。ある偉人の功績が生んだのです。アメリカ型成功者の物語でわかったゴールドラッシュとシリコンバレーの関係をシェアします。


アメリカ型成功者の物語

初版:2009年05月01日

出版社:新潮社

著者:野口 悠紀雄

辺境の地が世界の中心へ

米国カリフォルニア州は、いまや世界でもっとも豊かな地域です。

アメリカ西海岸カリフォルニア州は、ニックネームを「ゴールデン・ステイト」という「黄金の州」という意味だ。地中海性気候で陽気溢れる自然環境とも、開放的で進取にとんだ住民の気性ともイメージがぴったり合っている。

本書でも、このようにカリフォルニア州が紹介されています。

しかし、ゴールドラッシュの起きる1849年以前のカリフォルニアは、豊かさとはまったく無縁の地域でした。そもそも、アメリカ合衆国ですらなかったのです。なんと、当時はどこの国の領土でもなく、無法地帯でした。

”文明圏”の東海岸からカリフォルニアまで行こうとすると、いまの価値で2000万円のコストと6ヶ月以上という時間がかかりました。しかも、道中は不衛生で病死の危険がともなう過酷な道のりです。途中の砂漠地帯では、コップ1杯の水が、驚くことに100万以上することもあったそうです。

いまの感覚で言えば、月に行くような感じでしょうか。(もちろん、月に行くほうが高額ですが)とにかく、150年前のカリフォルニアは辺境の地だったのです。

それが、1849年のゴールドラッシュで歴史が動き始めます。カリフォルニアの発展が始まったのです。ゴールドラッシュというチャンスに魅せられた人々が大挙して押し寄せてきました。

ところが、過酷な道のりを乗り越えてきた人でも、残念ながら成功の切符を手にするのは簡単なものではありませんでした。

実際、金の採掘で大金持ちになることを夢見てカリフォルニアに来た人々の中で、その夢が実現したものは、ほとんどいなかった。それどころか、多くの金採鉱者は、経済的に破綻したのである。「金の発見」という未曾有の出来事は、多くの人々の運命に甚大な影響を与え、多くの人々の人生を翻弄した。何人もの人が、運命のあまりの大きさに狂気に陥った。これらの人々にとって、「金の発見」は、彼らの人間的スケールをはるかに超える出来事だったのだ。

そんな中、一人の偉人が空前の成功を収めます。

その中で最高の成功者は、空前の富と政治力を手にした。そして、15歳で夭折した息子の名を冠した大学を、辺境の地に建設した。その大学はカリフォルニアの発展とともに成長し、全米一、二を争う大学となった。そこに集まった人々が、21世紀の新しいゴールドラッシュを実現させた。

“金”と”IT”、2つの”ゴールドラッシュ”に秘められた関係を紹介していきます。

ゴールドラッシュの成功者は”金”を掘らなかった!

お金

1849年カリフォルニアで起きたゴールドラッシュで、成功者が次々に生まれました。いまでも存続する大企業を創業した人もいます。

  • リーバイ・ストラウス(リーバイス)
  • ヘンリー・ウェルズ/ウィリアム・ファーゴ(ウェルズ・ファーゴ)
  • フィリップ・ダンフォース・アーマー(アーマー・アンド・カンパニー)

これらは、すべてゴールドラッシュで生まれた成功者です。このリストを見ると、1つ分かることがあります。

それはゴールドラッシュで成功した人に、”金を掘った人はいない”ということです。金を掘る人にジーンズを提供したリーバイス、馬車を提供したウェルズ・ファーゴ、そして肉を提供したアーマーが成功しています。

そうです。”mining the gold miners”が成功の秘訣だったのです。つまり、金を掘るのではなく、その人たちのマーケットを掘ることが大切だったのです。それでは、この成功の秘訣を実行して、ゴールドラッシュで最初に成功を手にした人を紹介しましょう。

最初の成功者の、サンフランシスコの商人だ。名をサム・ブラナンという彼はごく初期の段階で金発見のニュースを知った。サッター砦に出入りして、砦内に店を開いていた商人だったからである。
しかし、彼は、金を掘りには出かけなかった。皆と同じことはしなかったのである。そのかわり、ブラナンは西海岸にある全てのシャベルと斧と金桶それにテントやその他の生活必需品を買いあさった。買占めが完了したところで、サンフランシスコの通りを走り回った。「金だ。金だ。金が発見された!」と叫びながら。
これは48年5月のことである。人々は大挙してサッターの砦に押し寄せた。ゴールドラッシュの引き金を実質的に聞いたのは、ブラナンのこの行為だったのである。彼は20セントで仕入れた金桶を15ドルで売るという具合で、わずか9週間のうちに、なんと3万6千ドルを手にした!
こうしてブラナンはカリフォルニアで最初の億万長者になった。その資金を使って、サンフランシスコでテント小屋の賃貸や金貸しなどの事業を始めた。また、政治的な地位も得た。1850年代を通じて彼の富と権力は増大し続け、後に、鉄道や通信会社などにも手をのばした。

ちなみに、サム・ブラナンが9週間で手にした3万6千ドルは、いまで言うと6億円に匹敵します。

引用にある通り、48年に「金の発見」の噂が広がり始めました。そして、49年には東海岸からも人が押し寄せてきます。この人たちのことをフォーティナイナーズと呼びます。このフォーティナイナーズから、リーバイスやウェルズ・ファーゴなどが生まれました。

そして、いずれの成功者も、金を掘った人ではありません。金を掘る人に、必需品を提供した人たちが成功していきました。

鉄道王リーランド・スタンフォードの誕生

フォーティナイナーズから成功者が出て、ゴールドラッシュは次の段階に移行していきます。ザ・ビッグ・フォーと呼ばれる4人の偉人が現れ、桁違いの巨万の富を作ったのです。

19世紀から20世紀初めのカリフォルニアで誰もが認める「偉大な成功者」と言えば、「ザ・ビッグ・フォー」、すなわちチャールズ・クロッカー、コリス・ハンチントン、マーク・ホプキンス、そして、リーランド・スタンフォードだ。
彼らは、大陸横断鉄道の建設者である。ニューヨーク州やコネチカット州の出身で、ゴールドラッシュの初期にカリフォルニアにやってきた。
彼らは、リッチ・ストライクのように偶然のチャンスで成功したのではない。また、これまで述べた事業家たちのように創意や工夫で成功したのでもない。彼らの成功の源泉は資本力と政治力だ。

そうです。鉄道王となった4人の実業家が、巨万の富を得たのです。

いまも同じですが、大きな初期投資が必要な事業は、個人で取り組めるようなものではありません。しかも、当時の技術で大陸横断鉄道を引いたのです。この4人は、計り知れないリスクをとって成功しました。

西海岸から東海岸までの旅行は、普通は6ヶ月ほど要したのである。それが6日間に短縮された。しかも、旅行はるかに快適なものとなった。荒野を走る駅馬車では眠ることができなかったんだろうが、列車には寝台車もある。
時間だけではない。それまで1100ドルかかった費用が、わずか70ドルになった。地球の裏側への旅行が、東京駅から新宿駅に行くほど簡単になるのでもない限り、大陸横断鉄道がもたらした感激を理解することはできないだろう。
建設の困難さも想像を絶する。電動モーターや内燃機関がなかったのはもちろん、蒸気機関で動く機械も一台しか使われなかった。トラックもトラクターも何もない全ては人力で行われた。

冒頭にも述べましたが、大陸横断鉄道ができる前は、カリフォルニアに行くには2000万円のコストと6ヶ月の時間がかかっていました。それが、大陸横断鉄道のおかげで、100万強のコストに下がり、6日間で行けるようになったのです。

苦難を乗り越えて完成した大陸横断鉄道は他の交通手段と比べれば、圧倒的に便利で安全でした。そのため、人々は当然の選択として大陸横断鉄道を使うことになります。その結果、4人の鉄道王が桁違いの富を手にすることになったのです。

シリコンバレーを生んだ”スタンフォード”

大成功をおさめたリーランド・スタンフォードでしたが、残念がら悲劇に見舞われます。

40歳を超えて授かった子どもが、なんと15歳の若さで夭折してしまったのです。リーランド・スタンフォードには、他に子どもがいませんでした。相当なショックを受けたことでしょう。

そして、そのショックの中で「カリフォルニアの子どもたちが、私たちの子どもだ」と考えるようになります。その後、アメリカ中の最先端の大学を視察し、授業料無料の大学設立を決意します。そして、スタンフォード大学を設立しました。

スタンフォード大学といえば、いまでは世界最高峰の大学です。バカにするような人は、どこにもいません。ところが、設立当時の評判は、いまとはまったく違っていました。「アフリカの炎暑に作った避暑ホテル」とか「スタンフォード上院議員のサーカス」などと揶揄されていたそうです。

そんな中、スタンフォード大学はアメリカだけでなく、世界に対しても大きな影響力を持つようになっていきます。この変化は、一体なぜでしょうか?

それは、スタンフォード大学から次々と世界企業が生まれていったからです。そして、大学の周辺はシリコンバレーと呼ばれ、世界中から優秀な人材が集まってくる地域となっていったからです。

ご存知かもしれませんが、スタンフォード大学から生まれた有名企業を並べてみます。

  • ヒューレット・パッカード
  • サン・マイクロシステムズ
  • シスコシステムズ
  • ネットスケープ
  • ヤフー
  • グーグル
  • フェイスブック

まだまだあると思いますが、多くのIT・インターネット関連企業がスタンフォード大学のスタッフや学生によって作られました。もはや、スタンフォード大学がインターネット産業を生んだと言っても言い過ぎではないかもしれません。

こうしてみると、インターネット産業の発展にとって、スタンフォード大学が果たした役割はきわめて大きかったことがわかる。「現在のインターネット環境は、スタンフォード大学の関係者によって築かれた」と言っても過言ではない。一つの大学がある産業の発展にこれだけ大きな寄与をなしえたのは、考えてみれば驚くべきことだ。

本書でも、このように述べられています。では、なぜスタンフォード大学から、これだけの有名企業が生まれたのでしょうか?

それは、創設者リーランド・スタンフォードの理念に秘密がありました。

一つの重要な要素は、スタンフォード大学が創業当初から工学部を持っていたことだ。
第2部第5章の1で述べたように、これは伝統的な大学とは非常に異なる特徴であり、リーランド・スタンフォードの強い信念に基づくものだ。彼の考えは、100年以上たって、確かに実を結んだということができるだろう。
そう考えるなら、リーランド・スタンフォードこそが、インターネット産業の生みの親といえるわけだ。少なくとも、彼の理念がなければ、現在のインターネットの世界やシリコンバレーの産業は登場しなかった可能性がある。

150年前の米国では、工学は大学で教える内容ではなかったのです。それは商業高校で教える内容だったといいます。

その当時に、スタンフォード大学はメインの学部として工学部を設けていました。とても、先進的な試みだったと思います。こうした試みが150年経って、シリコンバレーを生み、世界中の経済に影響を与えていくことになっていったのです。

このリーランド・スタンフォードと、彼が作ったスタンフォード大学こそ、1849年に起きたゴールドラッシュとシリコンバレーをつなぐ鍵でした。

以上です。

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