「限界の正体」でわかった限界を超える3つの方法とは?

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限界の正体

限界を感じることは、ありますか?

多くの人は、自分の限界の「もっと手前」を限界だと思い込んでいます。本書でわかった限界を超える方法を3つ紹介します。


限界の正体

初版:2016年08月02日

出版社:SBクリエイティブ

著者:為末 大

自分の限界はもっと先にある

限界を感じることは、ありますか?

実際に、世の中には「才能」は存在します。しかし、為末氏は多くの人が、自分の限界の「もっと手前」を限界だと思い込んでいるといいます。

25年間の選手生活を通じて学んだのは、人間には、限界があるということです。人間には「できること」と「できないこと」があって、どれほど努力をしてもどうにもならないこともあります。
僕がそう思うようになったのは、競技生活の中で、全力を出し切ったからです。限界を超えようと努力をし続けたからこそ、自分の限界を知ることができました。
限界を知ることができるのは、全力を出したことがある人だけです。ですが、長い間競技をしてきて思うのは、全力を出したことがある人が少ないということです。
序章でも書きましたが、全力を出したことがない人や、手加減をしている人は、自分の本当の実力を知りません。だから、自分の限界を手前に見積もっているのではないでしょうか。そして皮肉なことに人は限界の手前だったとしても力を出し切っていると思い込んでいます。

100%の努力をした人でないと、自分の限界にたどり着くことはできません。そのため、多くの人は自分の限界を知らずに、損をしているのです。

そして、限界がもっと先にあるといえる証拠もあります。歴史上には天才と呼ばれる人たちがいます。そうした人になるには、才能が必要です。しかし、歴史を研究してみると、「天才」の出現はとても片寄っていることがわかります。

歴史上、天才と言われる人たちは、ある年代、特定の場所に集中的に登場することがわかっています。
統計学者のデイヴィッド・バンクスは「多すぎる天才」という論文の中で天才たちが出現する時代や場所は集中する傾向があると記述しています。

たとえば、紀元前440年から紀元前380年のアテネでは、プラトン、ソクラテス、ヘロドトス、エウリピデス、アイスキュロス、アリストパネス。
1440年から1490年のイタリア・フィレンツェでは、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ギベルティ、ボッティチェリ、ドナテッロ。シェイクスピアの時代のイギリスは、ベン・ジョンソン、エドマンド・スペンサー、フランシス・ベーコンといったようにです。

では、なぜ天才は、集中して現れるのでしょうか?それには、理由があります。

デイヴィッド・バンクスは、天才が同じ時代・場所に集中する条件として、次の3つを挙げています。

①多様な人間の交流がある場所
②教育と学習の新しい形を切り開いた場所
③リスクをとることを支援する社会システム

僕は、才能がひとつの時代に片寄って登場するのは、「時代の空気」の影響を受けたからではないか、と考えています。
バニスターや野茂さんのような、一般の社会に大きな影響を及ぼす人が一人登場すると、時代の空気が変わります。
「できない」という空気から、誰かが達成することで「自分にもできる」と時代の空気が変わり、結果的に、その時代に生きる人たちの限界が取り払われていくのです。

天才になるポテンシャルのある人たちも、限界を手前に見積もってしまうと、能力を発揮することができないということです。

一方で、十分に限界まで努力をする「時代の空気」があると、本来の力を発揮し、天才と呼ばれる人になるのです。そのため、天才は集中して現れるそうです。

このような天才と呼ばれるほどの才能がなくても、普通の人であっても、原理は同じです。自分の限界を手前に見積もってしまっているので、能力を最大限に発揮できていない人がたくさんいます。そこで、本書でわかった限界を超える3つの方法を紹介します。

限界を超える3つの方法

限界を超えた人に会う
・正しい目標設定をする
・無知の知を知る

限界を超えるには、この3つの方法があると本書で述べられています。1つずつ、どういうことか解説していきます。

限界を超えた人に会う

ケーキ

自分が「できない」と思っていることを、やすやすと実践している人に会うことです。そうすると、「あれ?こんなことできるんだ」と一瞬で限界が取り払われることがあります。

陸上の世界でも、そうしたことは多々起きているそうです。とても有名ですが、1950年代にロジャー・バニスターという選手がいました。

社会の中で生きていると、かならず「限界」というものにぶつかるときがきます。
スポーツの世界にも、限界と捉えられていたことがありました。
「1マイル4分の壁」です。
長い間、1マイルを4分未満で走ることは、人間には不可能と考えられていました。何十年にもわたって、アスリートたちがその限界の壁にぶつかり、医師は「無謀な挑戦は命を落とす」と警告し、エベレスト登頂や南極点到達よりも難攻不落と言われていました。
けれど、1950年代、ロジャー・バニスターというイギリス出身の陸上競技選手が登場し、世界の常識を書き換えます。オックスフォード大学医学部の学生であったバニスターは、トレーニングに科学的方法を持ち込んで、1マイルを3分59秒4で走り、見事に4分の壁を破りました。

そして、こう続きます。

興味深いのは、そのあとです。
バニスターが1マイル4分を切ってから、1年のうちに、23人もの選手が1マイル4分の壁を破ったのです。
これまで人類の限界ととらえられていた、1マイル4分とは、決して肉体的な限界ではありませんでした。一度、成功者を見たことで、この壁を破れないと思い込みが解除されたのでしょう。バニスターによって、限界が取り払われたのです。

何十年も挑戦し続けて破れなかった1マイル(約1600m)4分の記録を一人の選手が破ります。その後、たった1年で23人もの選手が4分を切るわけです。思い込みの威力を思い知らされます。ことし、桐生祥秀選手が日本人で初めて100m10秒の壁を破りました。1マイル4分の壁と同じく、次々と9秒台を出す選手が現れる可能性があります。

もちろん、そんなに大きなことでなくても、構いません。たとえば、会社員ではなく、起業したいと思ってる人がいたとしましょう。その人の周りに、起業家がいるか、いないかで未来は大きく変わります。

周りに、そういう人がまったくいない場合、会社を辞めるなんて「できない」と思ってしまいます。限界を手前に見積もってしまうのです。しかし、周りに起業家がたくさんいれば、それも選択肢の一つとして捉えることができます。そして、望むタイミングで、実際に起業していくでしょう。

もちろん、起業でなくても転職にも当てはまりますし、何にでも当てはまります。ビットコインのマイニングも同じでしょう。simフリースマホへの切替えも同じかもしれません。人は些細なことから、大きなことまで、周囲からの影響を受けています。「できない」と思っていることを実践している人に会うことで、自分の可能性は大きく高まります。

正しい目標設定をする

目標はありますか?

目標は、できるだけ高く、大きなものがいいと言われます。しかし、目標も適切なものを設定しないと、逆効果になることがあります。

しかし一方で、目標を立てることによる弊害があることも知っておくべきでしょう。
目標どこに置くか、設定のしかたを誤ると、目標が「限界の檻」となって成長を阻んでしまいます。こうなると、行動のために立てた目標が、逆に行動を妨げてしまう。「目標の限界化」という現象です。
目標が限界の檻に変わるには、3つのパターンがあると僕は見ています。

①目標設定にこだわりすぎる→自分を見失う
②目標が遠すぎる→続かない
③大きな目標達成する→燃え尽きる

意外なことに、高い目標には弊害があるのです。まず、達成までのモチベーションを保ちにくいことと、そして、達成後のモチベーションを保ちにくいことです。

実際に、オリンピック選手たちも40%は、小さいときにオリンピックを意識したことがないといいます。競技を続けていく中で、途中からオリンピックへの意識が芽生えてきたのです。

僕は、多くのオリンピック選手にお会いして、目標設定に関するインタビューをしたことがあります。
すると、この統計データを裏付けるように、ほとんどの選手が、はじめ大きな夢や目標を持っていなかったのです。
では、どうして彼らは成功を手に入ってきたのか。理由はこのことに尽きると思います。

「目の前の問題を解決し、改善を繰り返す」

彼らは、やみくもに大きな夢を描くのではなくて、その日の目標を立てて、トレーニングをしていたわけです。「オリンピックに出たい」「メダルを獲りたい」といった目標は、その過程の中で見つかったものでしょう。

高い目標を設定するほうがいいという人と、為末氏のように「目の前の問題を解決し、改善を繰り返す」ほうがいいという人がいます。

高い目標と、目先の目標と、どちらが正しいのでしょうか?実は、この2つは矛盾することなく、整合性のある話のようです。

人間には、体感的な射程距離があると、僕は考えています。

「頑張れば届きそうな距離」
「頑張っても届かない距離」

「届きそう」と思えるなら、どうすればいいかを具体的に考えることができますが、「届かない」と感じてしまうとどうしたらいいかわからないので、モチベーションをコントロールしにくくなります。
そう考えると、一生懸命頑張れば、なんとか手が届きそうな、ちょうどいい高さに目標が設定できさえすれば、モチベーションは自然と高まります。
目標は、低すぎても緩んでしまいますが、高すぎると自分を信じきれなくなって、努力が浮ついてしまう。高すぎる目標は、大抵失敗に終わります。そして、失敗を繰り返すと、人は自己嫌悪に陥ってやる気を失うものです。

「頑張れば届きそうな距離」の目標を設定するのが正解です。

こう書くと、やはり目先の目標かと思われるかもしれませんが、そうではありません。高い目標に対しても、頑張れば届きそうと思える人がいるのです。

わたしも多くの人を見て、その個人差に驚かされます。人によっては、そんなの簡単すぎない?と思う目標でも、難しく感じるそうです。しかし、実際にやってみると、数ヶ月後にはクリアして、次の目標を上方修正して設定します。

一方で、そんなの絶対に無理じゃない?と思う目標でも、できそうと思ってトライする人がいます。実際にはできないことが多いのですが、気にする様子もなく、また次の目標を設定して挑戦していきます。

なので、「頑張れば届きそうな距離」は人によって、大きく異なると思います。その中で、もっとも高い目標を設定していくといいでしょう。そうするとモチベーションを保ちやすくなり、いつの間にか限界を超えてしまっています。

無知の知

自分は全能だと思ってしまっては、成長はありません。

当たり前だと思われるかもしれませんが、このバカの壁にハマってしまう人はたくさんいます。注意が必要なのは、キャリアの長い人です。すべての事象に対して、答えを用意できて、1つの論理体系で解釈ができてしまうからです。

「イシューから始めよ」にも書かれていますが、そうなると、新たな仮説を立てることが難しくなります。現状の論理体系に疑問を持てなくなると、新しいものを取り入れられないので、無知の知に至ることができません。

一方で、どんなに頂点を極めても、無知の知を体現している人もいます。そうした人は、長きにわたって超一流であり続けます。

レスリングの吉田沙保里選手を育てた栄監督は、「無知の知」を持っている人でした。栄監督は以前、「僕は結局、何が理想の指導かわからない」とおっしゃっていました。
栄監督も、吉田沙保里選手も、結果を出しているにもかかわらず、「自分が正しい」と思っていないそうです。常に、わからないと自覚している。わからないから、探り、疑い、たしかめようとします。探り、疑い、たしかめるから変化し、変化するから勝ち続けることができるのです。

野村克也氏も、同様のことを述べていました。「森羅万象、我以外皆我師」の精神を持って、学べば学ぶほど、自分が無知であることに気づかされる、と。そのため、探究心や向上心が衰えることはないというこです。

僕は、独善状態の人ほど、限界を感じやすいと考えています。独善状態とは、自分一人が正しいと考えることではないでしょうか。
…ですが、独善状態にあると、自分は正しいと信じて疑わないので、自分を変えることができません。限界の檻の中にいるのに、檻の中にいることすら自覚していない。それでは、いつまでも檻から脱出することはできません。

今の自分を変えたければ、「無知の知」を持つことです。
「自分は間違っているかもしれない」
「まだ何もわかっていないかもしれない」
謙虚に、何ごとからも学ぼうとする人ほど、限界を超えてどこまでも伸びていきます。

独善状態にならず、無知の知を持つこと。特にキャリアが長く、結果を出している人ほど、この精神を持つことで、限界を超えていくことができます。心当たりのある人は、気をつけてみてください。

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