「カフェと日本人」でわかった2つの転換点とは?

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カフェと日本人

カフェに、よく行きますか?

日本のカフェには2つの転換点があります。1つは価格破壊を起こしたドトール、もう1つは女性客を生んだスターバックスです。「カフェと日本人」でわかった2つの転換点を紹介します。


カフェと日本人

初版:2014年10月20日

出版社:講談社

著者:高井尚之

人類とコーヒーの出会い

あの真っ黒な飲み物を、よくぞ飲んだ人がいた

コーヒーを飲みながら、こう思います。コーヒーの黒色って、食欲をそそらないですよね?コーヒーは残念ながら、いかにも美味しそうな外見というわけではないです。しかし、わたしは毎日かなりのコーヒーを飲むので、そんなコーヒーを見出してくれた先人に感謝の念がわきます。

では、人類はどのようにコーヒーと出会ったのでしょうか?

コーヒーの発見と普及には諸説あるが、エチオピアのカルディとヤギ飼いの若者が、ヤギを追ううちに偶然コーヒーの実を見つけて食べた「カルディ伝説」が最も有名だ。時期ははっきりしないが6世紀ごろと言われている。その後、コーヒーは13世紀末頃にイスラム圏に秘薬として伝えられ、15世紀には、宗教上の理由で酒を禁じられていたイスラム教徒に嗜好品として広まったという。
カフェの本場・欧州ではオスマントルコのエジプト制圧後にコーヒーがトルコに伝えられ、東ローマ帝国の首都だったコンスタンチノープルに、16世紀半ばの1554年にコーヒーを提供する店「カーヴェハーネ」が開店。これが最古のカフェとして記録される。

このカルディ伝説にちなんだ会社があります。コーヒー豆以外の食品もたくさん売られていますが、社名は「カルディコーヒーファーム」です。カルディの名前を冠しているわけですから、もちろんコーヒーがメインの会社です。

コーヒーはイスラム圏で広まりますが、途中からヨーロッパでも人気を博すようになります。そして、大航海時代に日本にたどり着いたヨーロッパ人から、日本にもコーヒーが持ち込まれます。これが、日本人とコーヒーの出会いです。

日本にコーヒーが伝来したのは1700年前後と言われる。元号で言えば元禄時代。当時は江戸幕府によって鎖国されており、唯一の貿易窓口だった長崎の出島に、オランダ人から伝えられたという。鉄砲を伝来させたポルトガル人やスペイン人は南蛮人。オランダ人は紅毛人と呼ばれた時代だ。鎖国という閉鎖的な時代ゆえ、コーヒーは出島で開催されたパーティーなどでふるまわれる程度で、それを飲んだ経験のある日本人はごく一部に限られていた。

お金

ちなみに、大航海時代というのは金融が大きく発展した時代でもあります。なぜなら、大西洋横断のような大事業を一個人の資金では行うことができず、株式会社の仕組みが発展したからです。

大航海時代以前は、株主は無限責任を負っており、事業が立ち行かなくなれば、負債を肩代わりする必要がありました。しかし、大航海時代に入って、有限責任が主流になります。それは、株主になって、事業が失敗に終わったとしても、出資額以上の責任はないということです。その結果、株主になりたい人も増え、株式の売買も盛んになりました。

そして、その金融の発展に一役買っていたのが、コーヒーなのです。「金融の世界史」に、このように書かれています。

イギリスでは株式ブローカーたちは1600年代を通じてそのマナーの悪さからこの王立取引所には入れてもらえず、最初は外の通りで、後には近くのコーヒーショップに集まるようになりました。これが有名なジョナサンズ・コーヒーハウスです。このジョナサンズが1748年に火事で焼け、その後に再建された新ジョナサンズが73年に「ロンドン証券取引所(LSE)」と命名されるに至るのです。伝統あるLSEは、VOCによるアムステルダム証券取引所に171年遅れたことになります。

驚きの歴史です。ジョサンズ・コーヒーハウスというカフェがロンドン証券取引所となるのです。ロンドン証券取引所といえば、長らく金融の中心として、世界の経済を動かしてきたところです。それが、もともとはマナーの悪いブローカーが集まるカフェだったとは…、とてもおもしろいですね。

さらに、もう一つジョナサンズ・コーヒーハウスの他に、有名なカフェがあります。24時間営業のロイズ・コーヒーハウスです。ここでは、なんと世界初の海上保険が誕生しました。

ここで、なぜ損害保険の話なのに延々とコーヒーの話をしているのか、不審に思われた読者がいるかもしれません。その理由はカフェ・プロコープとほぼ同じ時期の1689年に、エドワード・ロイドがロンドンに24時間営業のロイズ・コーヒーハウスを開店したからです。
イエメンからのコーヒーの輸出先は、イギリス東インド会社の手配によって、当時はロンドン向けが1番多かった。イギリス人が紅茶を飲み始めるのはもう少し後のことです。
新聞などのマス・メディアが未発達な時代ですから、船乗りや船主、投資家は情報の豊富なロイズ・コーヒーハウスに集まるようになりました。1696年には「ロイズ・リスト」が作成され、そこには航路情報、船の入出港、船の売買や建造情報、ロイズの海外特派員からの情報も書かれていました。そして、このコーヒーハウスで海上保険が売買されるようになったのです。

日本のカフェ、2つの転換点

人類とコーヒーの出会いは、かなり古いです。しかし、日本人とコーヒーの出会いは、18世紀に入ってからです。また、コーヒーが一般に広まるには、さらに時間がかかりました。

ただ、今となっては、コーヒーは見事に日本の文化に溶け込んでいます。そして、そうなる上で、日本のカフェには2つの大きな転換点がありました。

  • 価格破壊を起こしたドトール
  • 女性客を生んだスターバックス

この2つです。どういうことか、1つずつ解説していきます。

価格破壊を起こしたドトール

セルフサービスのカフェは、いまでは珍しくありません。しかし、日本で初めて導入したのはドトールです。

ドトール以前は、ウェイトレスが席まで来てオーダーを取り、淹れたコーヒーを配膳してくれていました。しかし、ドトールはセルフサービスを導入することで、カフェ業界に価格破壊を引き起こしたのです。

かつて「コーヒー一杯の値段はラーメン一杯と同じ」という時代が長く続いた。それを”価格破壊”させたのはドトールである。1980年に1一号店がスタートしたドトールの最大の功績がこれだ。年々値段が上がっていた喫茶店のコーヒーに対して、150円という驚きの値で投入し、喫茶店をより身近で、使い勝手のよい存在にした。ちなみに同じ1980年に発売されたポカリスエットが一本120円だったので、店で飲むコーヒーが自動販売機の飲料とさほど変わらない。マクドナルドが100円コーヒーを販売する現在では誰も驚かないが、30年以上前の話である。

また「戦略は「1杯のコーヒー」から学べ! 」に書かれていますが、ドトールはセルフサービスだけでなく、回転率を上げる工夫も行なっていました。そうした工夫もあって、業界の風雲児となったのです。

女性客を生んだスターバックス

女友達同士、カフェでお茶をする

こんなシーンは珍しくありません。なので、女性とカフェの相性は、とてもいいように感じます。しかし、これはスターバックス上陸以降の現象です。

なぜスターバックスは、これほど日本で急拡大することができたのか?
最大の理由は、女性に支持されたことだ。後でくわしく紹介するが、それまでのコーヒーはオトコが飲む飲み物だった。それを「カフェラテ」や「キャラメルマキアート」といった、苦みを甘みでカバーしたミルク系コーヒーで、女性の心をつかんだ。明治時代の開業以来、男性客中心だった喫茶業界にとって画期的なことで、その意味でも「黒船」と呼ぶにふさわしい。

たしかに、昔ながらの喫茶店やルノアール、ドトール、ベローチェなどは男性向けのイメージがあります。女性が1人で入って行くのは、ためらわれるかもしれません。

ちなみに、有名なカフェチェーンの1号店オープン年は、以下のようになっています。

  • ルノアール:1964年
  • ドトール:1980年
  • ベローチェ:1986年
  • スターバックス:1995年
  • タリーズ:1998年
  • エクセルシオール:1999年
  • ミヤマ:2003年

スターバックス以前と以降のカフェでは、テイストが大きく異なっています。スターバックス以降のカフェは、いずれも女性客が入りやすく、くつろげる雰囲気となっています。タバコの煙がもくもくしており、スポーツ新聞を読むおじさんが集まってるイメージはありません笑。

男性向けのカフェをオープンしていた会社も、次々に女性客の取り込みを図っています。80年に1号店をオープンしたドトールは、99年にはエクセルシオールをオープンし、ルノアールも同じく03年にミヤマをオープンしています。スターバックスが業界にもたらした影響の大きさが伺えます。

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