「金融の世界史」株式会社の歴史、2つの転換点

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株式会社の歴史を知ってますか?

最近では個人でも株式を発行できるサービスが出ています。株式会社歴史を見ると、2つの転換点がありました。それは無限責任から有限責任への転換と特許制度の廃止です。株式会社の本質がわかる2つの転換点を紹介します。

金融の世界史

初版:2013年05月25日

出版社:新潮社

著者:板谷敏彦

株式会社の起源とは?

世界最古の企業は、どこかわかりますか?

実は日本の金剛組が世界最古の企業だと言われて、578年に設立されています。そして、なんと1955年に株式会社化されており、1000年以上にわたって存続しているのです。

日本には、金剛組という世界最古の企業があります。西暦578年に聖徳太子が四天王寺を建立するために百済から呼んだ寺のお抱え宮大工が起源で、バブル後の紆余曲折あったものの現在でも1400年以上の伝統を保持し続けています。日本の誇る世界最古の企業は外国人の企業だったんですね。金剛組は江戸時代まで四天王寺お抱えの家族経営で、それが戦乱を乗り越えて長続きした要因ですが、株式会社化されたのは1955年のことで、その長い歴史に比べてみればほんの最近のことでした。

いまでは企業と株式会社はイコールのような印象がありますが、そうではありません。企業の集合の中に株式会社があり、企業の歴史は株式会社の歴史よりも圧倒的に長いのです。なぜなら、長らくまとまった資金を必要とする事業がなかったからです。

大規模な資金調達の必要性がなければ、複数の人から出資してもらう必要がなく、少数からの出資で問題ありません。そのため、株式会社化する必要もなかったのです。

大航海ベンチャー時代

大規模な資金が必要のない時代が長く続きましたが、ついに個人の資金では実行できない事業に着手する時代となりました。大航海時代です。

大航海時代というと、学校ではロマンに燃えた人たちが冒険に出るような歴史を学んでいますが、実態はそうではありません。大航海に出た人たちは、現代のベンチャー起業家のような存在だったと言います。

そもそもコロンブス自身がスペイン人ではなく、ジェノバ出身の船乗りでした。現代風にいえば、ベンチャー起業家みたいな存在でした。彼はインドに憧れていたわけではなく、とにかく一旗挙げたかった。出資者探しのために、いくつかの企画書を作成しますが、その中に『東方見聞録』に書かれていた幻の国ジパングも盛り込まれていました。コロンブスはコネを探し、プレゼンテーションを繰り返します。フランスのアンジュール公、スペイン国王、メディナのセドニア公やポルトガル、果ては、本人は行きませんでしたが、イングランドにまで接触しました。しかし、なかなか彼のアイデアを採用してくれませんでした。ただコロンブスは断られてもめげなかったし、プレゼンテーションの内容もこだわらずに相手にあわせて柔軟に変更したそうです。そうした不屈の魂こそが、卵を机の上に立たせる秘訣だったのでしょう。

そして、大西洋横断や喜望峰周遊などの大航海事業のためには、莫大な資金が必要となりました。ここで必要に迫られ、株式会社の歴史が進展します。

1つ目の大きな転換が、無限責任から有限責任への変化です。

大航海時代以前の株主は、無限責任を負っていました。事業が失敗し、負債が生まれたとします。そのとき、株主は無限に、その責任を負うことになります。なので、事業主に代わり、負債を肩代わりして返済する必要のある存在だったのです。

今でいうところの連帯保証人のような存在でした。当たり前ですが、そんな重い責任があると、気軽に出資はできません。そのため、親族などのごく限られた人が株主となり、資金も小規模なものに止まりました。

そして、大航海時代に株主は無限責任から有限責任へと変化していきます。つまり、責任を有限とし、出資した金額以上の責任を負わないということになったのです。なので、仮に事業が失敗に終わっても、出資分を失うだけで、負債を肩代わりすることはなくなったのです。

しかし、当時の会社の株主は基本的に無限責任でした。…イタリアのコンパーニアではローマ法を前提に、共同経営者は全員が個人的に会社の債務を負わなければなりませんでした。ゆえに、出資者も運命共同体的な家族や同族から選択されるのが一般的だったのです。
16世紀のイギリスでは、モスクワ会社や海賊キャプテン・ドレークの資金を元手に設立されたレバント会社など利権地域の名を冠した特許会社がいくつか設立されていましたが、それらは無限責任でギルド的性格のものでした。無限責任では、株式を売買する際に、買い手にいざという時の支払い能力があるかどうかを見極める必要があります。
一般に近代的株式会社の嚆矢はオランダ東インド会社(VOC)ということが定説となっています。その理由は、VOCの株主の有限責任性にありました。出資額以上に失わない性質によって、VOCは株の購入代金さえあれば誰でも買うことができたので、盛んに取引されたのです。

イノベーション

ちなみに、余談ですが、大航海時代は世界の歴史を考えると、運命の分かれ道でした。大航海時代に世界の航路を押さえ、植民地支配をした西洋が世界の中心となっていったからです。

仮の話ですが、もし中国が世界の航路を押さえていれば、世界の中心は中国になっていたでしょう。そして、実は当時の中国には、それを実現するだけの技術力がありました。

一方、アジアからも大海へ向けて進出する動きがあったことを書いておきます。このころの中国は明の時代でした。大航海時代に先立つ1405年から33年にかけて永楽帝の命を受けた鄭和の大船団が7度にわたり、インド洋を横断しています。船団は長さ137メートルの巨艦を中心に62隻、乗組員27,800人という大艦隊でした。これを初めて見た船乗りは誰であれただちにその場にひれ伏したに違いありません。ちなみにコロンブスのサンタ・マリア号は長さが18メートルしかありません。時代ははるかに下って19世紀に日本の眠りを覚ましたペリーの黒船サスケハナ号でも、78メートルしかない。鄭和艦隊のインド洋におけるその威容たるや、日本の黒船どころではなかっただろうと思います。
鄭和は紅海を通りメッカやメディナまで、南はケニアのマリンディにまで到達しています。

なんと大航海時代の100年前に、中国は137メートルもの船を造り、インド洋を横断していたのです。137メートルは、現代でも相当大きな船です。さながらマンションが海を横断しているような感覚でしょう。

しかし、これだけの技術力を擁していながら、中国は航海へ出ることをやめてしまいます。なぜなら、北の脅威に備えるため、万里の長城作成に集中していくからです。もし仮に中国が大航海時代を制していたら、どんな世界になっていたのでしょうか。いまの西洋中心の世界ではなかったでしょうし、後の工業技術を考えれば、日本はシリコンバレーのような存在になり得たのかもしれません。

また、別の見方をすれば、中国は技術力も資金力も優れており、大企業になぞらえることができます。そして、ヨーロッパは諸国が割拠し、航海のよなベンチャー事業が許容される土壌があったと言えるかもしれません。

アジアに対するヨーロッパの優位は、決して「ヨーロッパ人が優秀だったから」というわけではありません。「多様な意思決定」は国主導による成長戦略の策定など、現代のベンチャー育成問題を考えるにあたっても十分に教訓的な逸話でしょう。
大航海時代の前と後では、ヨーロッパ世界が大きく変わり始めます。ここから東洋に対する西洋の優位が始まりました。

大陸横断鉄道の時代

無限責任から有限責任への変化が、株式会社の1つ目の転換点でした。そして、2つ目の転換点が大陸横断鉄道建設のときに訪れます。

実は、それ以前の株式会社は特許制でした。会社を設立するには、法律を作成し、特許を取る必要がありました。なんで、そんな面倒なことを!?と思われるかもしれませんが、まさにそれが狙いです。つまり、事業者が自分たちの事業を守るために、新規参入のハードルを高くしていたのです。

そのため、株主の責任が無限責任から有限責任になっても、株式会社には目覚しい発展がありませんでした。

しかし一般の製造業といえば、ほとんどが特許を必要としないパートナーシップで済ませていました。パートナーシップであれば持分の売買は自由であるし、経営に関与しない匿名会員は有限責任でした。それにそもそも、株式市場に上場して広く資金を集めなければならないほど資金を必要とする産業がまだなかったのです。
1776年に蒸気機関を発明したジェームス・ワットは、開発当初は資金難に苦しみ測量士や土木技師のアルバイトしながら研究したといわれていますが、後に裕福な企業経営者マッシュー・ボールトンと設立して発展の基礎となるボールトーン・アンド・ワット社も、株式会社ではなくパートナーシップでした。

こうして長い間パートナーシップで済ませていましたが、株式会社に変化のときを迎えます。なぜなら、大陸横断鉄道の建設には、パートナーシップでは対応できないような莫大な資金が必要になったからです。そうした資金を調達するためには、上場して多くの人から資金を集める必要がありました。その際に、障壁となっていた特許制度の廃止が始まったのです。

こうした状況を変えたのが、大規模な資金調達を必要とする鉄道という事業でした。そしてイギリスよりも週単位で立法するアメリカの方が、企業誘致の競争上の観点から、この問題に早く対応することになったのです。
1837年にコネチカット州で、株式会社設立に、特許会社のようにいちいち法律を作る必要がなくなり登記だけですむようになると、各州が競争して障壁を下げる方向にすすみました。現在の我々に馴染みの深い、「登記だけで会社が設立できる制度」は、この頃から始まったものです。

まとめ

株式会社は資金調達の必要性から発展してきました。そして、その歴史を見ると、2つの大きな転換期があります。

  • 1つ目が、無限責任から有限責任への転換
  • 2つ目が、特許制度の廃止

その結果、幅広い人が株式会社に出資できるようになり、多くの人が会社を設立できるようになりました。アイデアと勇気を持って起業する人と資金を提供する人が、自由にマッチングできる環境が整ったのです。

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