「宗教社会学入門」でわかった日本人の宗教観とは?

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世界がわかる宗教社会学入門

みなさん、宗派はどこですか?

答えられない人も多いのではないでしょうか。これには理由があり、江戸時代に始まった檀家制度が原因です。いまの日本人の宗教観の成り立ちを解説します。


宗教社会学入門

初版:2006年05月01日

出版社:ちくま文庫

著者:橋爪大三郎

日本人の宗教観は?

猫

天皇を神とした神道を別にすれば、日本で一番広まっている宗教は仏教です。お盆のときにお経をあげたり、葬式のときにお坊さんを呼んだりする方が多いのではないでしょうか。

日本に仏教が入ってきたのは、かなり古く、6世紀ごろと言われています。このとき、政策として日本は仏教を取り入れました。

朝鮮半島経由で日本に仏教が伝わったのは、六世紀の前半と言われています。
日本ではすぐさま、論争が起こりました。物部氏など保守派は「日本には昔から神がいるのだから、外来の仏は必要ない」と主張しました。外来の蘇我氏らは「いまやグローバル化 の時代だから、国際標準の仏教を信じないと時代に遅れる」と主張しました。結局、仏教導入派が勝利をおさめます。
つぎに重要な人物は聖徳太子です。聖徳太子は、中国語や朝鮮語をよく理解できたらしく、 国際的に通用する知識人です。仏教についても知識が深く、法華経、唯摩経、勝鬘経の主要大乗経典を注釈した『三経義疏』を著しました。さらに、官僚機構を中国式に整備し、家族 の勢力を抑えて天皇の権力が優位するようにはかりました。仏教、儒教などの国際標準によって日本を改造しようというのが、基本的なアイデアです。

グローバルスタンダードを意識して取り入れられた仏教ですが、その後は日本で独自の進化を遂げていきます。

そのときに仏教の進化に影響を与えたのは、武士たちです。ご存知のとおり、平安時代がおわっったあとは、長らく武士が日本の歴史の中心となります。

ところが、武士は政治や経済で中心的な役割を果たしたり、人殺しをしたりしていながら、実は十分に高い地位を与えられていませんでした。そうした場合に生まれる虚無感と仏教の無常観に通じるところがあり、武士の間に仏教が根付いていったのです。

そして、戦闘や政治、経済活動で忙しい武士や農民が簡単に報われるような仏教が日本で独自の発展と遂げていくこととなりました。

武士は、禅宗に大きな魅力を感じました。武士は、殺人を業とする職業軍人です。強い覚悟と団結が必要なうえ、戦闘のあとには強い虚無感が残る。それは仏教の、無常観に通じます。
貴族も無常の感覚に悩まされていましたが、武士の場合と違います。貴族の場合は、リッチマンの罪悪感。武士の場合は、農地を経営し政治・経済の実務を担当しながら、十分な社的地位が与えられず、殺人(不法行為)を常習とするという虚無感です。
神宗は、出家を特別視せず、世俗の職業に従事するのも修行として大切だという論理をもっています。また、虚無感や無常感は世界の実態に近いので、意味があると考えます。また、 経典を読むよりも実践を重視する点が、武士好みでした。
鎌倉には、武家の支持によって、臨済宗や曹洞宗のような禅宗が招来されました。

なぜ、日本人は宗教に無関心なのか?

考える

それは、江戸時代に始まった檀家制度に原因があります。

6世紀に仏教が日本に伝来してから、武士を中心に日本には仏教が根付いていました。織田信長が比叡山を焼き払ったエピソードなどからも、江戸時代直前まで仏教が絶大なパワーをもっていたことが伺えます。

ところが、現代では宗派を答えられない人も多いように、日本人は宗教に無関心です。この無関心度がわかるおもしろいテストがあります。

みなさん、死んだらどうなるでしょうか?仏教的に考えてみてください。仏教的には、死んだ人はどうなるでしょうか?

多くの人は「成仏する」と答えるのではないでしょうか。これは不正解です。

仏教の世界では、輪廻転成といい、死んだら生まれ変わります。この輪廻転成から逃れるには、解脱といい成仏することが必要です。成仏するには、厳しい修行を積む必要があるのです。そうそう簡単に成仏はできません。

何が言いたいかというと、日本に深く浸透していたはずの仏教に対しても、とても無関心であるということです。

そして、この原因は江戸時代の檀家制度に原因があります。どういうことでしょうか?本書に、このような記載があります。

そしてそれは、江戸幕府の政策、そして明治政府の政策のせいなのです。幕府は、布教して信者を増やすなど一切の宗教活動を禁止しました。そのかわり檀家制度をつくって、僧侶の収入を保証しました。葬式さえやっていれば、生活に困らない。そういう環境を用意し、僧侶を堕落させようとしたのです。これが効果をあげ、民衆は僧侶を尊敬しなくなりました。信仰の単位は個人でなくて「家」なので、うちの宗旨は何だっけ?と いう宗教的無関心も生まれました。明治政府は、檀家制度を温存するいっぽう、神道を強要して(それ以外の宗教は危険視して)天皇の絶対化をはかりました。そういう歴史が尾をひいて、日本人の頭に巣くっているのです。

つまり、布教活動をしなくても生活に困らない環境を整えたことで、僧侶が堕落していったのです。その結果、まなぐさ坊主という言葉も生まれ、日本人はお坊さんを尊敬しなくなりました。

また、お坊さん側も「戒名」という制度を生み出し、布教活動以外で収入を確保するなど、楽して生計を立てています。

値段も高くて頭痛の種ですね。実は調べてみると、戒名は日本の、ごく最近の習慣で、本来の仏教にはそんなものはないのです。
戒名にはまず、その規定がない。小乗にせよ、大乗にせよ、仏教の原理原則は、経典か、律蔵か、論蔵に明記してあるはずです。ところが大蔵経をいくらひっくり返しても、「在家の信徒が死んだら戒名をつけてもらいなさい」とはどこにも書いてないのです。
…戒名の値段は、戦後値上がりしました。檀家制度が壊れて、経済的に成り立たなくなった寺院が、葬式のチャンスに、過去何十年分の費用をまとめどりする……戒名の社会的機能はこんなところです。仏教の誤解と堕落の産物と言えましょう。

こうした負のスパイラルが日本人の宗教離れ、宗教への無関心の原因です。

宗教がおもしろくなる小ネタ

ここからは、本書を読んでいて、おっ!と思った小ネタを3つ紹介していきます。

小ネタとはいえ、宗教を理解する上で重要なことです。また知っていれば、友だちに知識を自慢できるような内容です笑

  • キリスト教VSユダヤ教VSイスラム教
  • 食物規制の意図は?
  • 神道は宗教ではない?

この3つを1つずつ、紹介してきます。

キリスト教VSユダヤ教VSイスラム教

キリスト教もユダヤ教もイスラム教も一神教の宗教です。それぞれ、神としてGOD、エホバ、アッラーを信仰しています。

GODとエホバ、アッラーは別々の存在で、それぞれの宗教は「わたしたちの神こそが真の神だ」と主張して対立していると考えてはいませんか?

その認識は間違っています。GOD=エホバ=アッラーで、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、同じ存在を神だと認識しています。

キリスト教の神は、「天にまします我らの父」ですが、ではユダヤ教の神はなにか?エホバ(ヤーウェでもよい)の神。はい、正解。イスラム教の神は?アッラーの神。はい、よろしい。それでは、なぜこの三つの宗教は仲が悪いのか?
それは、どれも一神教で、それぞれエホバの神、父なる神、アッラーの神を信じているために、本当の神はどれかをめぐって争いになるから、と考えていませんか。
それは、おお間違い。神が、三人いるわけではありません。エホバとはbeingという意味で、名前ではない。アッラーも「神」という普通名詞で、名前でない。一神教では神は一人だけなので、名前は必要ないのです。つぎに、この三つの神は同一人物。エホバ=父なる神=アッラーなのです。このことは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にも十分意識されています。

食物規制の意図は?

  • 豚肉を食べてはいけない
  • 牛肉を食べてはいけない
  • アルコールを飲んではいけない
  • カフェインを摂ってはいけない

など、宗教によって、さまざまな食物規制があります。それは、いったいなぜでしょうか?

これは宗教間の境界線を太くするためです。その結果、異教徒との交わりが難しくなり、同じ宗教内のコミュニティが強固になります。

食物規制は、ただの不合理な習慣に思えますが、立派に社会学的な意味があります。
食物規制を厳格に守ると、異教徒の人びとを食事に招待できません。その結果、友人になれないし、まして結婚ができなくなります。そのため、信仰を同じくする人びとの結束が強まり、信仰の共同体がつぎの世代にも再生産される。これが食物規制のねらいです。

神道は宗教ではない?

いまも日本の政治に絶大な影響力を持つ宗教が存在しています。それは神道です。

戦前にも大きな影響力をもっており、天皇を神としていました。しかし、信仰の自由や政教分離の方針から、神道は宗教ではないとされていました。そのため、神道は「道」なのです。

そんな日本が開国して明治の世となり、「信教の自由」を外国に約束する羽目になりました。キリスト教の布教は自由、しかし、天皇を中心とする明治政府への忠誠は確保したい。
そこで苦肉の策として、「神道は宗教にあらず」という政府の公式見解が生まれました。このアイデアを考えたのは、井上哲次郎という東大哲学科の教授ですが、神道は宗教ではないのですから、キリスト教徒にも仏教徒にも、天皇崇拝を強要できる。軍人勅諭も教育勅語も、そうして可能になります。こうして、国家全体が宗教化・兵営化する可能性(つまり、大東 亜戦争の可能性)がととのったわけです。

もちろん、第二次世界大戦がおわり、天皇は神ではなくなりましたし、神道は宗教となりました。しかし、いまでも神道は日本の政治に大きな影響力を持っています。

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