読書会でわかった図解!5分でわかる通貨の歴史とは?

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世界史の真相は通貨で解かる
  • 人類は錬金術を完成させた
  • ブロックチェーンは革命ではない

通貨の歴史を見ると、この2つがわかります。お金登場からコイン革命・手形革命、アメリカの台頭と通貨の歴史を解説していきます。


世界史の真相は通貨で読み解ける

初版:2018年07月24日

著者:宮崎 正勝

図解!5分でわかる通貨の歴史

通貨の歴史をまとめると、上記のような図になります。ここから言えることは、

  • 人類は4000年の時間をかけて、ドルという錬金術を完成させた
  • ブロックチェーンは通貨の概念を変えるような革命ではない

この2つです。

図では、

  • お金誕生
  • 手形革命
  • アメリカ台頭

と変化を3つにまとめましたが、

  • お金誕生は「お金の登場」「コイン革命」
  • 手形革命は「紙幣の登場」「国債の登場」
  • アメリカ台頭は「ブレトンウッズ体制」「ニクソンショック」「プラザ合意」

と分けられます。

それぞれについて紹介し、ドルという錬金術とブロック・チェーン(主にビットコイン)についての結論も解説していきます。

お金の登場

お金は4000年前に誕生します。お金が誕生した背景には「交易」があります。

AとBという集団があり、A集団が所有しているモノとB集団が所有しているモノを交換しようとして「お金」が発明されたのです。そのとき、なにを「お金」するか?という問題があります。

お金の条件は、以下の3つです。

  • 持ち運びが便利
  • 腐らず、価値が安定している
  • 両者にとって価値がある

その結果、「銀」と「子安貝」がお金として選ばれました。

もちろん、銀も子安貝にも実用的な価値はありません。食べて飢えをしのいだり、武器になったりするわけではない物質です。

しかし、両者とも”価値がある”と広く認識されていました。この”価値がある”と広く認識されていること、つまり「信用」は通貨の歴史を見る上で重要なポイントになります。

とにもかくにも、銀と子安貝はお金の条件に合致しており、世界最古のお金が誕生します。

世界史の最初の舞台となった西アジアから黄河中流域に至る乾燥地帯では、穀物を生産する農地の周辺の荒れ地や草原に穀物を生産できない多くの牧畜民が生活しており、牧畜民は穀物を手に入れなければ生存できませんでした。そこで、農民と牧畜民の間の交換が盛んにならざるを得なかったのです。
交換が広い地域で行われるようになると、農民と牧畜民の交換をスムーズにする「商人」が出現します。商人は旅をして両者を取り持つのですが、このとき、持ち運びが便利で、腐らずに「価値」が安定し、農民も牧畜民も受け取りを拒まない「引換証」が必要になりました。

そして、こう続きます。

金属を示す「メタル」という言葉はギリシア語の「メタロン」から派生しますが、もともとは「月」を指していたといわれます。
金属のなかでも、月に最も近いとされたのが銀でした。ギリシア神話の月の女神アルテミスは、白馬にひかれる銀の戦車に乗って夜空を駆け、銀の弓を引き、銀の光の矢を放つとされています。
そもそも「月」は、満ち欠けによって「時」の経過を教える神秘的な存在であり、永遠性のシンボルでもありました。誰もが仰ぎ見ることができる「月」との連想で、商人は銀地金を都市民、農民、牧畜民に売り込んだのでしょう。
実際には、銀地金は日常生活ではほとんど役に立たず、見た目の良さと希少性が価値 があるという幻想を生み出しただけでしたが、銀地金は交換の際にモノの「引換証」となり、モノの循環を司るようになりました。

子安貝は形から豊穣を連想させるため、”価値がある”と認識されていました。つまり、銀も子安貝も思想や宗教を土台に信用を担保し、お金として成立していたのです。

コイン革命

お金が誕生してから1000年以上が経ち、「コイン革命」が起きます。

コイン革命とは、通貨の発行です。つまり、統一の量と質でコインが鋳造されるようになったのです。

これは、とても革命的なことでした。なぜなら、それ以前のお金は質も量も均一ではなかったため、取引ごとに質と量を確かめる必要があったのです。しかし、質と量が均一なコインが鋳造されれば、数を数えるだけで取引が成立します。これは、とても便利です。

では、誰がコインの質と量を担保したのでしょうか?

それは「王」です。クロイソスという王様が質と量を均一化したコインを鋳造し、世界で初めて通貨を発行したのです。

次の動きが現れたのは前6世紀中頃、同じくリディアでのことでした。クロイソスという王がコインの様式に着目し、金地金や銀地金をそれぞれ素材とするコイン(金貨・銀貨) を造り、それが大ヒットしたのです。
クロイソスは表にライオンの紋章、裏面に質と重さの保証印を刻んだ、同じ重さで均質のコインを発行しました。「なんだ、質と重量を統一して刻印を押しただけか!」と思われるかもしれませんが、お金は信用と使い勝手が命です。コインの出現で、取引のたびに「重さと質を確かめる」面倒なお金から「枚数を数えるだけ」の簡単なお金に変わり、お金の流通が一挙に増大しました。
コインの紋章と刻印がお金の信用の源泉になりましたから、王は価値を測定し、保証する「価値の創造者」と見なされるようになり、お金の発行者として莫大な富を手にしました。商人に代わって王がお金の発行者となり、お金の形が均一化されてその発行量が爆発的に増加した出来事を「コイン革命」と呼びます。

紙幣の登場

次の変化はコイン革命から2000年後に起きます。紙幣の誕生です。

紙幣が誕生するまで、通貨自体に価値がある(と思われている)物質が使用されていました。子安貝や銀です。

しかし、17世紀に入り、イギリスからどんどん銀が流出し、通貨の生産が間に合わなくなってきました。背景には大航海時代の影響があるのですが、詳細な説明は割愛します。

17世紀末、イギリスでは、アジア経済の影響を受けて銀高になったヨーロッパ大陸よりも銀の値段が安く、商人の手で鋳潰されて地金として輸出される銀貨が増えました。1690年の6か月間だけで、過去5年間に鋳造された銀貨の10分の1以上が銀地金にされてイギリス国外に流出しています。

そのときに考えたのが「紙」で通貨をつくることです。「紙」であれば、銀よりも簡単に大量の通貨をつくることができるからです。

しかし、紙で通貨を作ってしまうと、本当にこの通貨に価値があるのか?と疑問に感じます。そこで、イギリスは「いつでも金と交換可能」な紙幣を発行し、信用を担保します。これを金本位制といいます。

いまでは銀も金も同じく価値があるように感じますが、実は銀のほうが圧倒的に歴史が長いのです。金がお金とリンクするようになったのは未だ200・300年前のことなのです。

イギリスでは、1689年以来、フランスとの戦争が100年以上にわたり断続的に続けられました。その ため、17世紀末に1670万ポンドだった 国債の発行額が、アメリカ独立戦争が終わった1783年には2億4500万ポンドと14.6倍になり、国債の利払いが歳入の40パーセントにも及ぶようになります。財政が悪化したのです。
そうした財政状況下で1803年からのナポレオン戦争に突入するわけですから、イギリスの財政や、イングランド銀行が発行する紙幣への信頼が揺らぎます。
もしナポレオン軍にイギリスが敗れるようなことがあれば、国家財政は破綻し、国債も紙幣も一挙に価値を失ってしまいます。不安を募らせた国民は、手持ちの紙幣を金貨に換えようとイングランド銀行に殺到しました。
そこで首相ピットは、ポンド紙幣の一時的な兌換停止に踏み切ります。イングランド銀行からの金貨の流出を防がなければ、戦争の続行は不可能だったからです。
ナポレオン戦争が終わると、ピットは、民間のイングランド銀行を救済するための紙幣の兌換停止はいつまでも続けられないと判断しました。そこで「イングランド銀行の紙幣と金の兌換再開のための方策を検討する秘密委員会」(委員長がピールだったために「ピール 委員会」と呼ばれる)が設置され、紙幣の兌換再開の検討に入ります。
1816年、貨幣法が制定され、信用度の高いソブリン金貨(純金7・32グラムを含む) が新たに鋳造されます。結果、ソブリン金貨というしっかりした金貨の発行が、金本位制を立ち直らせることになりました。これにより、金貨と兌換できるポンド紙幣の信用も一挙に高まったのです。

国債の登場

紙幣が誕生する下地をつくった存在が「手形」です。

コインが登場して以来、取引の利便性は向上しましたが、それでも大量のコイン(銀)を持ち運ぶのは手間です。またリスクも伴います。

そこで「手形」が誕生します。手形とは、一定期間後に支払いを約束するものです。

手形があれば、その一定期間に何度も取引をする相手とは双方が発行した手形を相殺して、最終的に差額だけを決済すればよくなります。このように手形のおかげで取引は一層スムーズに行われるようになりました。

そして、国が発行する手形のことを「国債」といいます。国債も一定期間後に支払いが約束されています。

しかし、当初の国債はまったく人気がありませんでした。なぜなら、中世の国王はなんども国債を踏み倒していたからです。そのため国が発行する手形を商人たちは受け取らなくなります。

とはいえ、戦争のため資金が必要な国王たちは、なんとか国債を発行する手はないかと模索します。そこで考えたのが、債務者の変更です。

国債は国王が発行していますから、返済は国王がするのが当たり前です。しかし、国王の支払いには信用がありません。

そこで、国債の返済は「国民が行う」と債務者を変更したのです。国民が返済するとは、つまり税金で国債の支払いを行うという意味です。

こうなると、国債も一気に信用度が高まり、人気の手形となりました。その結果、国王は戦費調達のため、どんどん国債を発行するようになります。これが国債の誕生です。

英仏間の戦争の初期、つまり名誉革命の直後にオランダからイギリスへ移植されたのが、イスラーム世界、イタリア都市と引き継がれてきた「手形革命」を引き継いだ国債でした。国債は、イタリア都市の制度を引き継ぎ、17世紀末以降イギリスで発行される国の借金証書(国が発行する約束手形)です。
中世の国王は戦争の際に金融業者、商人を脅して借金したのですが、たびたび踏み倒したために、商人は王への貸金をためらいました。しかし、名誉革命で主権が議会に移ると、王の債務が国家の債務に変わり、議会が税金で返済を確約したことから、国債は一転して安定した投資対象に変わったのです。

ブレトンウッズ体制

現在の貨幣経済に最も大きな影響を与えているのは「アメリカの台頭」です。

このアメリカの台頭はブレトンウッズ体制・ニクソンショック・プラザ合意の3つに分かれます。それらを理解すると、現在の貨幣経済が理解できます。

21世紀に入るまで、経済の中心地はヨーロッパでした。そのときアメリカと言えば、新興の小国です。

しかし、21世紀に第一次世界大戦と第二次世界大戦と二度の大戦が起き、状況が一変します。戦場となったヨーロッパは疲弊し、多額の負債を負います。

このヨーロッパに貸付をし、武器などを輸出したのがアメリカです。その結果、アメリカの経済は大きく発展し、お金もどんどん集まりました。当時のアメリカには世界の金の3/4があったと言われます。

そこで、イギリス・ポンドに代わり、アメリカ・ドルが世界の基軸通貨になります。

つまり、ドルはいつでも金と交換ができる兌換紙幣となり、他の国の通貨は金と交換ができない不換紙幣となったのです。これにより、各国の通貨はドルを通じて信用が担保される時代となりました。これがブレトンウッズ体制です。

「20世紀はイギリスの時代、21世紀はアメリカの時代」といわれるように、戦後はアメリカが世界の工業生産の半ばを占め、世界の金の4分の3を集中させたことで、アメリカの 一強体制が生まれました。
イギリスは、長い時間をかけて世界規模の海洋帝国を建設し、ポンド紙幣による覇権体 制を慎重につくり上げました。これに対し、アメリカは国内の一体化が思うように進まないまま、世界大戦という外的要因によって、タナボタ式に慌ただしく覇権を築き上げたの です。
戦争終結の直前の1944年、アメリカのニューハンプシャー州のリゾート地、ブレトンウッズで連合国45か国の財務・金融担当者会議が開かれました。
この会議では、世界で唯一、金1オンスを35ドルと兌換すると宣言したドルを世界通貨とする金・ドル本位制ができあがり、各国の通貨の価値はドルとの間の固定レートで保証されることになりました。これを「固定相場制」といいます。
お金を価値づける「金」がアメリカに集中しているのだから、ドルが基軸通貨になるの は当然だ。こう主張して、アメリカは戦後の世界のお金の秩序と仕組みをつくり上げたのです。各国の通貨は、ドルと交換されることで初めて「金」との交換が可能になり、かろうじて通 貨としての体面を維持できるという世界のお金の仕組みでした。これをブレトンウッズ体制(IMF体制)といいます。

ニクソンショック

二度の世界大戦によって得たチャンスをものにしたアメリカは、ブレトンウッズ体制をつくり、世界の基軸通貨となりました。

ブレトンウッズ体制では、ドルのみが金と交換可能な兌換紙幣で、その他の通貨は金と交換ができません。しかし、各国の通貨はドルと固定相場で結ばれていました。そのため、ブレトンウッズ体制を維持するにはアメリカが世界中の通貨と交換が可能な金を保持する必要がありました。

そんなことが可能なのか??というと、不可能です。

1944年にできたブレトンウッズ体制ですが、30年も持たずに破綻します。ニクソン大統領が「ドルと金の交換を停止する」と発表したのです。これがニクソンショックです。

その結果、どの国の通貨も信用の担保がない時代に突入したのです。

1971年8月、激しいドル売り圧力に耐えられなくなった共和党の大統領ニクソンは緊急テレビ会見を行い、「ドルと金の交換の停止」の声明を出さざるを得なくなりました。それがニクソン・ショック(ドル・ショック)と呼ばれる、世界史レベルでのお金の大変動です。
「金」による価値の担保がなくなったことで、ドルは利子が得られるアメリカ政府債務(国債)の購入証書に戻りました。国際通貨体制が、金・ドル本位制からドル・米国債本位制に変わったのです。この時期にシカゴの先物市場は、世界経済の転換の先を読んで、通貨の先物取引を始めています。
アメリカ政府は当初、主要か国の協力を得て固定相場制を何とか維持しようと試みましたが「ドル安」は止まらず、結局、1973年に変動相場制に移りました。世界の全ての通貨が、金により価値を担保されることのない不換紙幣に変わったのです。

プラザ合意

ニクソンショックにより、ドルが世界の基軸通貨である根拠はなくなりました。しかし、世界の覇権を保持したいアメリカは、次の策を考えます。

それが石油の決済です。世界のエネルギー源として欠かすことのできなくなった石油をドルのみで決済するという仕組みを作ることにしたのです。これがプラザ合意です。

1973年1月、ニューヨークのプラザホテルで先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開かれました。そこで最終的に金と切り離されてドルが不換紙幣になり、同時に世界のすべてのお金も不換紙幣になることが合意されました。これが「プラザ合意」です。その際、紙幣を価値付けるために、各国の政府と中央銀行が紙幣の価値を管理する制度(管理通貨制度)が導入されることになりました。通貨の管理が失敗して経済が破綻すると、その国の紙幣は紙くずに変わってしまうという大変な時代に入ったのです。
…本当はその時点で、世界のお金の価値を安定させるための新たな方策が考えられるべきでしたが、ドルの発行権を持つアメリカは、その場しのぎの安易な方法で、基軸通貨ドルの維持を図ろうとします。
その方法とは、最大の産油国サウジアラビアの同意を得て、石油の取引はドルでのみ行われるという世界的な枠組みをつくることでした。金本位制に代わる「石油本位制」とでもいったらよいのでしょうか。

石油の取引時にドルを使う必要があるので、ドルが世界の基軸通貨にとどまることになりました。

しかし、よく考えてみると、ドルの信用が担保される根拠は、どこにもありません。それでもドルは通貨として成立しています。これは世界中の人々がドル自体を信用するようになったから起きている現象です。

子安貝や銀から始まって、思想的・宗教的な理由で価値があると思われていた物質が通貨になったり、信用の担保となったりしてきました。ところが、遂に紙切れであるドル自体に価値があると認識される時代になったのです。

こうなると、FRB(アメリカの中央銀行)は錬金術を手に入れたのと同じです。FRBは好きなようにドルを印刷することができますし、お金を生み出すことができるようになりました。

皮肉をこめて「アメリカの最大の商品はドル」といわれるように、アメリカはインフレのリスクを負いながらもドルを増発し、世界規模の「水ぶくれ」経済をリードしていきました。
第二次世界大戦後からニクソン・ショックまでの35年間のドルの発行量は2倍にすぎなかったのですが、ニクソン・ショック後の45年間のドルの発行量は約45倍へと激増します。
通貨の発行量が増えれば当然インフレが進行しますが、抜け目のないウォール街は「通賃の二重構造」をつくり上げることで事態に対応しました。インフレでお金の価値は目減りしていきますが、資産は逆に価値を増します。そこで資金を「お金でお金を増やす仕組み」である「投資」へと導くことで、インフレの相殺が図られたのです。
その結果、一定以上の資産を持ち「投資」にお金を回せる人と、それができない人の間の格差が構造的に拡大していくことになりました。アメリカでは、国民の1パーセントを占める富裕層が国の富の半分を所有するというような、驚くべき格差が構造的に生み出されていきます。

 

ブロックチェーンは革命ではない

“ブロックチェーンがお金に地殻変動を起こす”

このような主張を目にすることが多くなりました。しかし、通貨の歴史を詳しく見ていくと、そのような事態は起きないとわかります。なぜなら、通貨には「信用」が必要だからです。

ブロックチェーンによって、自然発生した暗号通貨(ビットコインetc)に「信用」がつくことはありません。信用の担保を用意しようとすれば、中央銀行が暗号通貨を発行したり、ドルとの交換を約束したりする必要があります。

もちろん、ブロックチェーン技術によって、

  • コストの削減
  • セキュリティの向上
  • 海外送金の利便性向上

など、メリットはあります。しかし、通貨の在り方自体を変えるような革命は起きません。

通貨の在り方に革命を起こすと言われた背景には、2017年末から2018年頭にかけてのビットコイン・バブルがあると思います。なので、ビットコイン・バブルとは一体何だったのかを最後に解説します。

なぜビットコインは注目されたのか?

ビットコインが注目されたのは、マネーロンダリングの手段になるからです。

2013年タックスヘイブンのキプロスが破綻しました。このときEUがキプロスの救済に対して条件を出します。銀行預金に1割の課税をかけること、です。

この条件に反応したのは、もちろんキプロスにお金を預けていた富豪たちです。タックスヘイブンだからキプロスに預けていたのに、1割の税金なんて払いたくない!と考えたのです。

そこで、

  • 迅速に
  • コストをかけずに
  • キプロス国外に送金する

必要が出てきました。でないと、預金封鎖が行われ、財産を失うことになるからです。

そのときに使われたのがビットコインです。ビットコインに変換することで、即時に安い手数料でキプロス国外に資産を移すことができました。

そもそも、発行が始まってから数年間見向きもされなかったビット・コインが注目されはじめたのは、2013年にギリシア危機に連動してタックス・ヘイブン(租税回避地)のキプロスで起こった金融危機、いわゆる「キプロス危機」のときでした。EU(欧州連合)が経済危機に陥ったキプロスを金融支援する条件として、銀行預金に約1割の課税をすることを求めたのです。それは、キプロスに預金していた海外の富裕者にとって、青天の霹歴でした。結果、財産を守ろうとする動きが、キプロスに資産を移していたロシアの富裕層(キプロスの銀行資産の約3分の1がロシアマネー)の間に広がりました。
銀行を通じて海外に預金を移すと多くの日数がかかってしまい、その間に預金封鎖で預金が差し押さえられてしまいます。しかし、コンピュータからコンピュータに暗号で資金を移せるビット・コインならば、数時間で秘密裏に資産を国外に移せるという理屈です。 そこで「資産の保全にはビット・コインが有効である」という認識が広まりビット・コインの暴騰が起こりました。

なぜビットコイン・バブルは起きたのか?

 

ビットコイン・バブルが起きたのは2017年末です。しかし、2018年の3月には暴落し、いまも下がり続けています。

なぜ、バブルが起きて、こんなに一瞬で弾けたのでしょうか?理由は中国にあります。

中国は社会主義国家で、国外に資産を移すことが難しい国です。しかし、資産を海外に移さなければ、いつ国に没収されるかわからないというリスクも抱えています。

そこで、ビットコインが注目されました。中国の富裕層がドルと交換可能な暗号通貨を購入し、海外に資産を移し始めたのです。その結果、ビットコインの93%の取引が中国で行われるという現象が起きました。

もちろん、中国当局もこの動きに気づき、規制をかけます。今ではビットコインを使って海外に資産を移すことはできなくなっています。その結果、半年もたたずにビットコイン・バブルは弾け、ビットコインの値段はいまも下がり続けています。

その後、ビット・コインの需要が高まったのは「にわか富裕者」の間に国外送金の要望が強く、国の規制が厳しい中国でした。海外に資金を逃避させたい富裕層が、ビット・コインを大量に購入したのです。2017年段階では、中国の三つの取引所(OKコイン、フォビー、BTCチャイナ)が、 世界のビット・コイン(「仮想通貨」「暗号通貨」)取引の93パーセントを占めていました。
中国で活躍したのが、テザー社です。テザー社は香港の取引所でドルとの交換に特化した「テザー」という「仮想通貨」と「法定通貨」のハイブリッドを発行して、急激に発行量を増やしました。
テザー社は発行したテザーの額と同額のドル紙幣を常に保有していると称し、「いつでも 1テザーを1ドルと交換する」という触れ込みでテザーを発行し続けました。それは、資産を国外に移転させたい中国の富裕層にとっては願ってもない道具となりました。テザーを買って他国へ送金し、それを送金先でドルに替えれば、元をドルに換金して送金するのと同じです。しかも、送金手数料が圧倒的に安かったのです。よくそのような仕組みを考えるものです。
大量に買われたテザーは、ビット・コインや各種のアルト・コインにも交換され、ビッ ト・コインの普及に主導的な役割を担ってきたとされています。テザーが中国マネーでビット・コイン市場を膨らませたのです。
…香港で販売されたテザーは中国の主権の一部をなす通貨発行権に抵触しますから、中国 では交換所に厳しい規制が設けられるようになり、中国のビット・コイン・ブームは下火になっています。

つまり、今のところビットコインはマネーロンダリング以上の実用的な価値はないという状態です。

もちろん、ブロックチェーンは有益な技術ですが、暗号通貨が通貨の在り方を変えることはないです。ブロックチェーンよりも、ニクソンショックやプラザ合意のほうがよっぽど通貨の在り方を激変させています。

以上、読書会でわかった図解!5分でわかる通貨の歴史でした。

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