文芸系テーマ本ありの読書会です。私が知る限りですが、実はこの形式の読書会が最も古くから存在している読書会だと思います。私が読書会の主催を始めた時、既に存在していた読書会というのはこの③文芸系テーマ本ありの形式が多かったです。当時は、東京都内で開催されていた読書会の内、7割がこの形式だったと思います。ビジネス系の読書会というのは、今と異なり少数派であった印象でした。
さて、この文芸系テーマ本ありの読書会ですが、そもそも文芸書を媒介としている読書会では、テーマ本が定められている形式が大半です。文芸書であれば何でも持参してくださいという読書会は、ほとんど見かけません。
恐らくですが、主催者にっても参加者にとっても、非常に難しい会になるからだと思います。文芸書の場合、登場人物の心理状態とその状況のメタファーを楽しんだり、明示されていないが暗に表現されているテーマを読み取ったり、その小説が書かれている時代背景を楽しんだりと本そのものを娯楽として楽しむ傾向が強いと思います。
そうした文芸書を媒介にする場合、主催者も参加者も共通の本を読んで、「何ページの此処の箇所は、実はこんなことを意味しているのではないか?」「実は、私もそう考えていた。」「いや、私が別の角度から、このように読み取っている。」ということを話し合うのが楽しいのだと思います。ビジネス書のように、「この本のポイントは3つです。まず、1つ目は…」なんていうように紹介していしまうと、文芸書は楽しめません(笑)
この形式の読書会の良さは、文芸書の読み方、楽しみ方を教えてもらえるところにあります。私自身、物心ついた時から多くの小説を読んできましたが、その読み方、楽しみ方というのを教えてもらったことはありません。
皆さんも、読書家の人が小説のどのポイントを楽しんでいるか分かりますか?
ビジネス書の場合、読み方は明確です。むしろ、ビジネス書の場合、その著者が読者に理解してほしいポイントを出来るだけ吸収してもらえるように明確に分かりやすく、何度も言葉を変えて説明してくれています。そのため、読者としても悩む必要がありません。その著者が強調しているポイントだけは最低限理解して吟味し、取り入れていけばいいのです。
ところが、文芸書となると、そうはいきません。むしろ、ビジネス書のように明示できない何かを伝えるために著者は小説を書いているのだと思います。ただ、その小説の読書が実は難しいのです。
私も村上春樹氏の長編小説を全て読んでみて、確かに面白いと思いました。しかし、ノーベル賞候補に何度もあがる、その本当の面白さを理解できているかというと、全くできていません。他の小説家との圧倒的な違いも分かりませんし、文章の上手さも本当の意味では理解できていません。
恐らく、多くの人も同じような状態なのではないかと思います。そうした人には、この形式の読書会はお薦めです。主催者か参加者の中に非常に詳しい人がいて、その人の本の読み方を観察していると、小説の楽しみ方が分かってきます。
これはある意味、映画とも似ていると思います。映画も詳しくなくても観ていて、何となく面白いですが、普通の人にとっては何となくでしかないです。名作と言われている映画が、なぜ名作と言われているのか、実は全く理解できないという人も多いんじゃないかと思います。私もその内の一人です。「これが名作なのか。ふーん。」で終わってしまう映画も沢山あります(笑)
ところが、ワインの味が分かる人にとってみればワインのない人生なんて考えられないと思います。同様に、「映画を楽しめない人生なんて、なんて味気のない人生なのか?」と思っている人がいると思います。文芸書も同様だと思います。その楽しみ方を知るためにも、興味のある方は参加してみるといいと思います。
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