game overではなく、game change
先日、ちきりん氏の「自分の頭で考えよう」を読んでいた時に、とても示唆に富んだ一節を見つけました。
日本企業は、与えられたフィルターの中で一番に選ばれるための商品を開発することにはとても優れているのに「今までになかった新たなフィルターを消費者に提示する」ことが必ずしも得意ではない、ということです。
ビジネスの世界では、この「新たな選択基準=新たなフィルターを提示する」ことを、「ゲームのルールを変える」といいます。従来は価格と機能で競い合うゲームだったのに、明日からはデザインでの競争がはじまる。もしくは、今までは機能の多さで競っていたのに、ある時から機能の少なさ(=商品のシンプルさ)が競われることもあります。これが「ゲームのルールが変わる」という状態です。
自らルールを変えることなど思いつきもせず、従来のルールの中で必死に勝利を目指すのもひとつの方法でしょう。しかしそれは時に、果てしなき消耗戦につながります。
この文章を読んだ時に、連想したのが、i Phoneです。正にi Phoneは携帯電話のgame changeを行ったのです。
まだ記憶に新しいi Phoneの登場ですが、フレッド・ボーゲルスタイン氏の「アップルvsグーグル」で、その実態を以下のように書いてありました。
アップルは発売後二日で二十七万台のi Phoneを売った。最初の六ヶ月でさらに三百四十万台を売り、多くの人は、i Phoneが携帯電話業界を永遠に変えてしまったと結論づけた。
いま振り返ると、初代i Phoneが打ち立てた記録は、当時考えられていたよりはるかにすばらしい。たしかにデザインも機能も革命的だったが、初代i Phoneには良くない点も多々あったのだ。まず基本モデルが四百九十九ドルというのは高すぎる。市場に出まわっていたほかのスマートフォンは、事実上どれもその半額以下だった。消費者はi Phoneのために多額の違約金を払えば、キャリアを変更するか、携帯電話サービスを解約することができた。安価な端末の場合、二年間一つのキャリアを使い続けなければならない契約だった。しかし、その縛りから解放されるために二百五十ドル以上払う価値があっただろうか。多くの人は、ないと考えた。
つまり、i Phoneは、今までの携帯電話が戦ってきた機能と価格というgameを完璧に塗り替えてしまったのです。価格面でも非常に割高で、今までの携帯電話が搭載していた高速の通信、GPS、動画撮影、バッテリー・メモリ増強のような機能さえも初代i Phoneにはなかったのです。
それでも、斬新なタッチスクリーンと完全なブラウザ、グーグル・マップ等の新機能と、美しいデザインという新たなルールのgameを展開したことにより、歴史を塗り替えてしまいました。
日本に求められる競争力
1945年の第二次世界大戦終戦以降の世界経済を見ていくと、あることに気づきます。
第二次世界大戦前に繁栄していたのは、英国です。ところが、直ぐにその繁栄は米国に取られて、英国は苦難の時代を迎えます。
その後、ブレトン・ウッズ体制で1ドル=360円と定められた日本の製造業が隆盛してきます。破格の円安体制の中、日本が世界の工場となっていきました。
ところが、その日本も経済発展とニクソン・ショックに伴い、製造拠点を海外に移行せざるを得ない状況となりました。最近では、韓国、台湾、中国が製造業で経済発展を遂げています。
そして、日本は失われた20年の苦悩の真っ只中にいます。
一方で、英国と米国は金融工学とITの発展で、復活を遂げました。(金融はリーマンショックで弾けましたが…)
製造業で隆盛する国が、英国→米国→日本→韓国・台湾→中国と遷移しているのには、理由があります。それは、高い教育により、均質化された労働者と安い賃金という条件があれば、高性能・低価格を実現できるからです。
つまり、同じルールの中で、game overを目指す戦いなのです。
ところが、そのルールで戦えなくなった国は、英国と米国が金融とITという新しい産業を生み出したように、game changeで生き延びていくしかありません。
日本も同様です。なぜなら、1ドル=360円という円安も、安い労働力も、もはや過去のものだからです。そして、将来その強みを再び手に入れることはできないと思うからです。
だから、均質化された労働者を生み出す教育ではなく、孫正義氏のような人物を何人輩出することができるか、新しい産業を生み出し、game changeをしていくことが日本の生きる道だと思います。