常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである
これは、あの有名なアルベルト・アインシュタイン氏が残した格言です。アルベルト・アインシュタインについては説明する必要もないかもしれませんが、一般相対性理論などの業績でノーベル物理学賞を受賞し、20世紀最大の物理学者・現代物理学の父と称される偉人です。
アルベルト・アインシュタイン氏は物理学者としても高名ですが、それだけではなく平和運動にも尽力しています。「2%の人間が兵役拒否すれば、政府は戦争を継続できない。なぜか、政府は兵役対象者の2%の人数を収容する刑務所を保有していないんだ」と発言し、戦争中にも拘らず、公然と戦争を批判していました。
そのアルベルト・アインシュタイン氏が、「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」という格言を残しています。
気づいたら、時代は変化している
突然ですが、時代の変化ってどういう風に起きていくと思いますか?
例えば、誰もが当たり前のように「正しい」と思っていたものが、誰もが「間違っている」と思うようになる変化。これは、もの凄い変化ですよね。過去には、天動説から地動説への変化がありましたが、とても大きなパラダイムシフトです。
瀧本哲史氏が、著書の中で書かれていましたが、上記のような変化は世代交代と共に起きるそうです。つまり、天動説を信じている人が全員死んでしまって、地動説を信じる人がマジョリティになっていったのです。
その世代交代が、大規模なパラダイムシフトの原因だったのです。なんだか、呆気ないですよね。
こうした変化は、リンダ・グラットン氏の「ワークシフト」の中にも紹介されています。それは、産業革命です。「職人」から「機械」への変化も、職人が死んでいくまで数十年の時間をようして起きました。
アルベルト・アインシュタイン氏が残した言葉のように、私たちの思考には18歳までの経験が大きく影響しています。それは、教育を受けていた年代です。
つまり、教師の年代(団塊の世代から団塊ジュニアまで)の考え方・ものの見方に強く影響されているということです。そうして教わった常識が、社会の変化を見過ごす、偏見になってしまっているのだと思います。
私が10代の頃から考えても、社会は次々と変化しています。
中学生の頃までは毎回乗る度に買っていた切符が、Suicaに代わり、
一家に一台だったデスクトップPCが、一人に一台のノートPCに代わり、
家で取る固定電話から、出先で使う携帯電話に代わり、
家で作って外で食べるお弁当が、外で買って家で食べる弁当になっています。
変化の真っただ中にいる当人たちが気付けないほどのスピードで、世の中は変化しています。こうした変化に対して、常識(偏見)を持ちだしていたら、とてもではないですが、変化についていけません。
さらに、上記のようなものだけでなく、「生き方」も次々と変化していくと思います。
卒業・就職・結婚・マンション購入・出産・定年・年金…と続く、十人十色のように見えて、似たようなライフイベントを経験していく人生。この「生き方」だけが、不変の法則のように残るとは考え難いです。
「常識」という偏見を外して、どんどん加速していく変化についていくだけではなく、次の変化を予想して見通すことが、とても重要だと思います。