
明治維新の裏側をご存知ですか?
学校で習う明治維新と本当に起きたことは大きく違います。明治維新の真実を知ると、今の日本の見方、政治・経済への理解が変わります。
今回は、読書会で明治維新で起きた4つの真実を教えていただきましたので、その内容をシェアしたいと思います。
開催報告:20代読書会in東京
日時:09月23日(土)09:30-12:00
参加者:15名(男性:9名、女性:6名 初参加:4名、リピーター:11名)
目次
20代読書会in東京の感想
興味がなかった分野の本に興味を持てるようになる。(31歳・男性)
色々な本を知ることができた。(29歳・男性)
興味ある本を見つけることができた。(22歳・男性)
明治維新の裏側をご存知ですか?
学校で習う明治維新と本当に起きたことは大きく違います。明治維新の真実を知ると、今の日本の見方、政治・経済への理解が変わります。
前回の開催報告で、教養を身につけることの大切さを解説しました。そして、教養を身につけるには歴史を学ぶべきだとホリエモンは言っています。
今回の明治維新4つの真実は、まさにこの「教養」にあたります。それでは、4つの真実をご紹介しましょう。
- 長州藩という藩は存在してない
- 坂本龍馬は実はスケープゴートだった
- 明治維新には表に出ない黒幕がいた
- 日本政府は明治維新の子孫たちが運営している
どういうことか、1つずつ解説していきます。なお、詳しく知りたい方は「明治維新という名の洗脳」を読んでください。こちらに詳細が書かれています。
長州藩という藩は存在してない
明治維新といえば、薩長同盟です。
犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩が坂本龍馬の仲介で軍事同盟を組み、明治維新の流れが加速しました。明治維新の中心に存在していた長州藩ですが、実は「長州藩」というのは存在してなかったのです。
正しくは萩藩であったといいます。公式名称として長州藩という藩が存在したことはありません。
…衝撃です。
さて、少し話は逸れます。みなさん、長州五傑をご存知でしょうか?
ロンドン大学の石碑にChoshu fiveと刻まれていることから、長州ファイブと呼ばれることもあります。
井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝の5人です。この5人はジャーディン・マセソン商会やトーマス・グラバーの支援で江戸時代末期にロンドン大学に留学しています。
そして、この5人は明治時代にも活躍し、井上馨は外交、遠藤謹助は造幣、山尾庸三は工学、伊藤博文は内閣、井上勝は鉄道の基礎を作りました。
もともと萩藩出身の5名が明治政府を作ったので、今の日本政府にも萩藩の名残があるといいます。
その1つが、一般会計と特別会計です。
「特別会計」というのは一部では問題視されている制度なのですが、その点には触れません。触れ始めると長くなるので(笑)
一般会計というのは、いわゆる国家予算です。約100兆円の予算が組まれ、毎年国債の金額がいくらで用途がなにでとメディアでも、よく取り上げられています。
それに対して、特別会計とは「裏の予算」です。
とくに審議されることもなく、メディアで取り上げられたり、批判されたりすることもありません。そして、この予算はなんと400兆円あります。
一般会計の何倍もの予算を、審議もなく、好きなように組めるのです。やりたい放題です(笑)
この特別会計という裏の予算は、萩藩でも存在していました。
萩藩では、この特別会計のお金を資産運用しており、そのお金でイギリスやフランスから武器弾薬を購入していたのです。ちなみに、萩藩が運用していた資産金額は100兆円にものぼったそうです。
そして、その運用を担当していたのが先ほどの長州五傑だったのです。
彼らは裏の予算の重要性を身をもって認識していたので、明治政府をつくったときにも特別会計という制度を残したのです。
坂本龍馬は実はスケープゴートだった
坂本龍馬は明治維新の英雄です。明治維新でもっとも人気の人物ではないでしょうか。
しかし、いまの明治維新のイメージは司馬遼太郎氏がつくったそうです。
坂本龍馬は、もちろん偉大な人物だと思います。ところが、その実態はフランスやイギリスのスケープゴートだったようです。
坂本龍馬は亀山社中をつくったことでも有名ですが、この亀山社中を紐解いていくと、スケープゴートだと言われる理由がわかります。
亀山社中とは、日本で最初の営利目的の組織です。いまの株式会社の原型となっています。
その亀山社中とは、一体なんの会社か知ってますか?
有名ですが、これは武器の商社です。そして、坂本龍馬に武器を卸していたのがイギリスの商人トーマス・グラバーでした。
そして、亀山社中の最初の取引は薩摩藩への武器弾薬の販売でしたが、その金額は9万両でした。
しかも、それは亀山社中ができて1ヶ月で成立した取引です。9万両とは、今の金額で169億円です。坂本龍馬は当時31歳でした。
会社設立1ヶ月で169億円の取引。しかも、商材は武器弾薬で、社長は31歳。
坂本龍馬…超人か(笑)
ここからわかることは、順序が逆だということです。
坂本龍馬が亀山社中を立ち上げて薩摩藩と取引が成立したのではないです。先に取引が決まっており、そのために亀山社中が作られ、その発起人として坂本龍馬に白羽の矢が立ったということです。
これを画策して日本で動いていたのは、ジャーディン・マセソン商会の代理人をしていたトーマス・グラバーです。
だって考えてみてください。いまの時代は当時よりも、いろんなスピードが加速しているでしょう。その現代でも、会社設立1ヶ月で169億円の取引が成立するなんて考えられません。
しかも、商材は武器です。169億円分の武器を設立1ヶ月の会社に卸すなんてあり得ないです。
ちなみに、トーマス・グラバーは三菱財閥の創設や飲料品メーカーのキリンの創業にも関わっています。
坂本竜馬は脱藩していたため、色が付いていなかったのです。中立な立場で、薩摩藩にも長州藩にも取引ができ、亀山社中の代表に適任だったということでしょう。
明治維新には表に出ない黒幕がいた
明治維新の黒幕は、トーマス・グラバーです。
これは今まで書いてきたことを読んでいただいてもわかると思います。トーマス・グラバーはジェーディン・マセソン商会の代理人として日本で暗躍しました。
そして、「明治維新という名の洗脳」の中では坂本竜馬の暗殺を指示したのはトーマス・グラバーなのではないかとも書かれています。
なぜなら、ジェーディン・マセソン商会は薩長と幕府で戦争をしてほしかったからです。そうすれば、武器がたくさん必要になり、売上が上がります。
ところが、坂本竜馬が仲介をして江戸城は無血開城となりました。これによりジェーディン・マセソン商会が見込んでいた売上が飛んでしまいました。これが坂本竜馬が暗殺された理由ではないかと推測されています。
では、このジェーディン・マセソン商会とは一体なんなんでしょうか?
この会社の前身は、実は東インド会社です。この東インド会社は有名ですね。必ず学校で勉強する会社です。
東インド会社は、イギリス本国から許可を受け、独占的に香辛料などの貿易を行なっていた会社です。ただ、徐々に普通の会社の域を超えていきます。そして、インドを植民地化し、統治もするようになりました。
この東インド会社がジェーディン・マセソン商会となったのです。そして、紅茶貿易や中国に向けてアヘンの輸出を行なっていました。
ここでジェーディン・マセソン商会の政治力がわかるエピソードがあります。
アヘンが流行し、国力の低下を感じた中国政府はアヘンの輸入を制限します。このときジェーディン・マセソン商会はイギリスの国政に働きかけます。そして、軍隊を中国に派遣し、アヘン戦争を起こすのです。
その後、イギリスが中国に勝利し、以前よりもますますアヘンの取引が盛んになりました。ジェーディン・マセソン商会、すごいです…
この流れで、日本の明治維新への絡んでいたわけです。
ということで、このジェーディン・マセソン商会がトーマス・グラバーの裏にいた明治維新の本当の黒幕です。
ちなみに、HSBCという世界最大級のメガバンクがありますが、これはジェーディン・マセソン商会がイギリスに送金するために設立した銀行です。
その後、ジェーディン・マセソン商会はシンガポールでピザハットやケンタッキーフライドチキンのフランチャイズも展開しています。
そして、実は現在も存在しています。フォーチュン500にも入って、優良企業となっています。
日本政府は明治維新の子孫たちが運営している
家族経営と聞くと、なんだか古い印象を受けます。そんな会社、大丈夫?優秀な人を登用したほうがいいんじゃない?と思ってしまいます。
しかし、日本という国家が実は家族経営だったのです(笑)
明治維新のときに活躍した人物に薩摩藩士の大久保利通がいます。大久保利通は維新の三傑と言われ、実質の首相を初代で勤めた人物です。
その子孫にノーベル平和賞も受賞した吉田茂総理がいます。息子の鈴木善幸も総理大臣となり、その子供が麻生太郎です。
ちなみに、吉田茂の父親は吉田健三といい、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長を勤めていました。
また、麻生太郎の親戚にあたる安倍晋三を見てみましょう。すると、祖父はなんと岸信介です。A級戦犯として処刑されるところを一転、総理大臣となり、昭和の妖怪と呼ばれた人物です。
そして、その弟が佐藤栄作です。佐藤栄作は沖縄返還を実現し、ノーベル平和賞も受賞した総理大臣です。すごい家系ですが、辿っていくと佐藤信寛という長州藩士にたどり着きます。
とうことで他にも辿れば、明治維新の立役者だったという政治家はたくさんいます。いまでも明治維新の影響を受けて、日本は国家運営をしているようです。
以上、明治維新4つの真実でした。こうしたことを知ると、物事の見方が変わります。これが教養を身につける意義です。興味を持たれた方は、ぜひご自身で調べてみてください。