
普通の未来予想はアテになりません。
なぜなら、価値観の変化を織り込んでいないからです。逆に言えば、価値観の変化を理解していれば、未来を予想することができます。そこで、今回は価値観の変化を見抜く方法と今後数十年続く価値観を解説していきます。
評価経済社会
初版:2011年02月25日
著者:岡田斗司夫
なぜ、普通の未来予想は当たらないのか?
一般的に未来予想はアテになりません。なぜなら、ほとんどが外れるからです。ホリエモンも「10年後の仕事図鑑」の中で、”どんな未来予想も星座占いほどの精度しかない”と語っています。
では、なぜ普通の未来予想は外れるのでしょうか?その答えが、本書ではこう書かれています。
本来は技術や科学が変化すれば、それにつれて社会の価値観も変わるはずです。社会の価値観、という言葉は耳慣れないのですが、ここでは「何が良くて、何が悪いと人々が感じるか」というふうに考えてください。
そして、こう続きます。
実例で説明します。たとえばルネサンス以前、聖書といえばラテン語の筆写本でした。そのため、聖書は大変な貴重品で、読める人間も聖職者に限られていました。だから当時の人々は、教会や聖職者をすごく尊敬していました。
荘厳な教会の大伽藍、反響する聖歌隊の歌声、そして分厚くて読むことのできない聖書。中世の人々が、いかに教会に畏怖を感じていたか、本当に実感はできませんが、なんとなく分かるような気はします。
しかし、グーテンベルクが活版印刷を発明したおかげで、誰でも家庭で聖書が読めるようになってしまいました。あの無限の謎をたたえた書物を、買って読むことができるのです。すると教会での説話と聖書の矛盾に気がつく人も出てきます。
イエス・キリストは荘厳な教会を建てて自分の像に祈れ、なんて一言も言っていないじゃないか!その結果、人々が教会に対して感じている尊敬、権威はどうしようもなく衰退していきました。
ここで書かれているのは、技術が進化して変化すると、社会の価値観も変わるということです。しかし、普通の未来予想は「今の」価値観でつくられています。技術によって変化した価値観を踏まえて、未来を予想していません。
そのため、普通の未来予想は当たらないのです。要は“普通の未来予想がアテにならないのは、技術の進化によって変化する価値観を踏まえていないから”なのです。
では、価値観はどう決まるのか?そして、今後数十年続く価値観とはどんなものか?が気になりますよね。それがわかれば、あとは技術の進化と合わせて考えれば、未来を予想できます。なので、次章以降では「価値観がどう決まるのか」と「今後数十年続く価値観」を紹介していきます。
価値観は、何によって決まるのか?
社会の価値観を知るには、その時代に①何が余っているか?と②何が不足しているか?に注目するといいです。そうすると、その時代の価値観を知ることができます。
ある時代のパラダイム(社会通念)は、「その時代は何が豊富で、何が貴重な資源であるのか」を見れば明らかになる。
ということは、それまで豊富だったものが急に不足したり、貴重だったものが急激に豊富になったり、といった変化が起きる時、それに対応して価値観が変化する。その価値観の変化によって社会は変化する。
そして、①余っているものをガンガン消費して、②不足しているものを大切にすることがカッコいいという価値観ができあがります。
- 農業革命以前
- 中世
- 近代
を振り返りながら、この価値観の形成について解説していきます。
農業革命以前
農業革命以前は①時間が豊富にあり、②モノ(食料)が不足している時代です。
農業革命以前の狩猟時代は、男は朝起きて狩りに出かけます。だいたい3から4時間ほどで狩りは終了し、昼食時には集落に帰ってきます。女性も、その間に果物や野菜類を採集してきます。そうして狩りと採集の成果で食事をしたら、午後はずっと子どもと遊んだり、集落のメンバーとコミュニケーションをとったりする時間が続きます。そして日が沈むとともに就寝する生活でした。
そのため、豊富にある時間をガンガン消費することがカッコいいという価値観がつくられていきます。では、農業革命以前の”時間の消費”は、何を意味したのでしょうか?
モノが不足し、常に我慢を強いられる始代人たちの文化は、モノよりも内面、精神世界へ向かいます。
これこそが「たくさんある資材をパーッと使うのがカッコイイ、足りないものは大事にするのが立派なこと」という「人間のやさしい情知」の働きです。
つまり、ひもじいながら有り余る時間を「思索」というきりのない作業に当て、モノに執着する心を蔑み、モノを使わないようにする、という考え方が生まれたのです。
こうして始代人たちは宗教をつくり、その世界に浸りました。
はい、農業革命以前に時間を消費する対象は、宗教でした。そのため、世界中のどの民族もアニミズム信仰が見られます。
中世
農業革命が起きて、人類は飢えの心配から解放されました。そして、より巨大なコミュニティで生活するようになります。それまでは100人から200人程度の集まりだったのが、何百万人の集まりを作るようになります。そして、そのコミュニティには階層が存在し、国としての機能も発達していきます。
そんな中世も、実は①時間が豊富にあり、②モノ(富)が不足している時代でした。その結果、現代では考えられないような価値観が生まれていました。
中世の特色は「モノ不足・時間余り」です。
意外なことに中世の人たちにとって、“勤勉”とは泥棒と同義の犯罪的行為でした。というのは、一人がたくさん働けば、結果的に他の人の土地や資源を奪うことになるからです。中世の人々は、いくら働いても貧乏なかわいそうな人々ではありません。「貪欲は悪」という価値観に生きていたのです。
そのため、中世の一般市民は冬はほとんど働かず、夏でも日曜の他にたくさんの休・祭日を持っていました。ローマ帝国の最末期ですら、平均週休4日だったのです。これが本格的中世になると、もう本当に人々は働きませんでした。
たとえばフランスの農民は、冬の3カ月は全く働かず、夏季もいろんな理由をつけて休日だらけでした。おまけに村単位、職能ギルド単位で労働時間を厳格に決め、抜け駆けの働きは厳しく罰せられました。中世においては、「働くべき時に働かない」よりも、「働くべきでない時に働く」方が、ずっと重い罪だったのです。
なんと、勤勉が悪だったのです。現代人からすると、信じられないような価値観です。そして、時間をガンガン消費することはカッコいいという価値観はそのままなので、中世も農業革命以前と同様に宗教に強く傾倒していきます。
近代
科学の発展とともに、産業革命が起き、中世も終わりを告げます。
そうすると、価値観も大転換を遂げます。それまで、①時間が豊富にあり、②モノが不足していたのに、これが逆転したからです。近代は、①モノが豊富にあり、②時間が不足した時代です。
この200年間は、常に「モノ余り・時間不足」を基準にパラダイムがつくられました。このパラダイムは、第1章でお話しした科学主義・貨幣経済主義の考え方です。
そして、先ほどお話しした「モノ余り・時間不足」の古代と、大変よく似た特色を持っている社会だともいえます。
近代のパラダイムとは、モノをもっとたくさん作り出し、もっとたくさん消費することをカッコイイと感じ、時間や人手を節約し効率を上げることを正しいことだと感じる、という方向でかたちづくられています。商品の規格化・画一化による大量生産。生産機械や輸送手段の大型化・高速化による効率化。人手を減らし、機械や資源によって労働を置き換える省力これらすべてがモノ余りを促し、時間不足を助ける方向性を持っています。
この近代の価値観は、最近まで続いていました。なので、いい家・いい車・いい服を買って、ガンガン消費するのがカッコよくて、時間を節約できるサービスは有り難がられました。
このように、①何が豊富で②何が不足しているのか?を見ていけば、その時代の価値観を知ることができます。
もちろん、これは未来予想にも役立ちます。いま何が豊富で、何が不足しているのか?を知れば、これからどんな価値観が主流になっていくのか理解することができます。
そして、今後数十年続く価値観はミレニアル世代がもっている価値観です。ミレニアル世代の価値観を理解すれば、未来を予想することができます。次章では、そのミレニアル世代の価値観を解説していきます。
ミレニアル世代の価値観とは?
現代は①情報が豊富にあり、②モノが不足している時代です。
情報についてはわかりやすく、インターネットの影響です。ベルリンの壁が崩壊し、インターネットが商用活用されるようになってから、情報が急速に増えています。
そして、もう1つのモノ不足はオイルショックが要因です。
ミレニアル世代が生まれる前に、オイルショックが起きました。その結果、人類は”いつか資源は枯渇する”ということを自覚しました。その結果、教育の内容も変わり、ミレニアル世代は小学校のときから”宇宙船地球号”や”持続可能な開発”という考えを教えられてきています。なので、ミレニアル世代はモノ(資源)不足という意識を持った世代なのです。
そこで基本になるのは、「モノ不足・情報余り」の思想であることに間違いありません。
物資の金に惑わされるのをみっともないと感じる。モノに関心を示さないのを立派と感じる。
精神世界を大切にし、科学よりも抽象的芸術を愛する。こういった、中世とよく似たパラダイムを持つ新しい時代を私たちは迎えつつあります。
しかし、モノ不足・情報余りと言っても、ミレニアル世代は農業革命前や中世と同じ価値観を持っているわけではありません。その理由は、3つの死にあります。3つの死とは、
- 宗教の死
- 科学の死
- 経済の死
です。
まず、宗教の死ですが、宗教にトドメを打ったのは産業革命です。
産業革命と同時に宗教は死にました。もちろん、死んだといってもその影響力が完全になくなったわけではありません。それどころか世界の大半では、いまだに最大の価値観の一つなのです。
しかしあの、人々が無批判に宗教を信じていた時代はもう、水遠に返ってきません。たとえ社会が閉塞感に満ちていても、オウム真理教に傾倒する人間はマイノリティの範囲内でした。幸福の科学は自分たちの代表を議会に送り込めませんでしたし、公明党が与党となる日は未来永劫来ないでしょう。
産業革命後も宗教の影響力は絶大ですが、中世の人たちのような信仰心は、現代には存在していません。つまり、神さえ信じていれば幸せになれると心から思ってる人はいなくなったということです。
そして、宗教と同じく、科学も死を迎えています。
それと同じく科学も今、死を迎えています。どんなに科学者たちが正論を合理的に言い募っても、私たちにはもう、それが魅力的には聞こえません。「ふーん、それ本当なの?」とまず、疑ってしまう。科学が私たちを幸せにしてくれるとは信じていないからです。
私自身、科学の発展に心躍らせたり、とにかくお金が儲からなくては話にならない、などという考え方をいつの間にかしなくなっていました。
今から40年前、70年大阪万博の頃。
私を含め、日本人みんなが、まだまだ科学技術の進歩に期待していました。アポロ11号の月面着陸に心躍らせ、月の石見たさに何時間も行列をつくりました。それがいっこうに苦痛ではなかったのです。
いまも科学の進化には大きな期待が寄せられています。しかし、近代の人のように、科学が我々を幸せにしてくれると信じている人はいなくなりました。どんなに科学が進歩しても病気はなくならないし、戦争などに悪用する人もいます。原爆やテロ、新たな犯罪が生まれるたびに、人々の科学に対する”信仰心”は薄れていっています。
そして、3つ目の死が経済です。決定的な転機になったのはリーマン・ショックでしょう。
「科学」に対しての「科学や合理主義は、私たちを幸せにする」という価値観が崩れたから、科学は信頼を失った。同じように「経済」も、その内部に「一生懸命働くことが、みんなの幸せにつながる」という価値観を含んでいないと、信頼を失ってしまうのです。
すなわち、「労働は私たちを幸福にしてくれない」。
一生懸命、身を粉にして働いても、幸せになれないんじゃないか?
いまの若者は、そんな風に考えています。そのため、企業戦士と言われるような働き方を望む人はとても少なくなりました。
宗教、科学、経済と無条件に信じる対象を失っているのが、ミレニアル世代です。
そのミレニアル世代が、①情報余り、②モノ不足となっているのです。どんな価値観が生まれるのでしょうか?
一言で言うと、”個々人が信じる対象を生み出し、その気持ちを大切にするのがカッコいい”という価値観が生まれています。
たとえば、ミニマリストやオプティマイザーという言葉が、ミレニアル世代の価値観を象徴しています。
自分が”好きなもの”を大切にし、必要以上にモノを消費することを善としません。周りの人が持っているからという理由で、モノを持つことがカッコ悪いと考えられています。
この「自分の気持ちを大切にする」というのは、現代の若者を語る時の重要なキーワードです。
恋愛も「相手とうまくいくか」よりも「自分の好き、という気持ちを大切にしたい」と考えています。だから、その気持ちを守るために現実の恋愛が破綻することも辞しません。ある意味、すごく純真なのです。仕事に関しても、安定した会社とか出世できそうとかを中心には考えません。
「やりがいのある仕事に就いてみたい」
「自分の可能性を伸ばしたい」
という「自分の気持ちを大切にしたい」を優先します。価値観の中心が「今の自分の気持ちを大切に」なのです。こういった考えが主流になると、今まで考えられなかったような社会変化が起きます。また社会が変化すれば、構成員の変化にもますます加速度がつくでしょう。
ミレニアル世代の価値観をご理解いただけたでしょうか?
信じる対象(宗教、科学、経済)を失ったため、自分自身で信じる対象を決める必要がある世代なのです。だから、自分の気持ちや好き・嫌いという感情を大切にします。そして、その気持ちを貫く生き方やライフスタイルを大切にしています。
そういう風に世の中を見ると、会社をすぐに辞めてしまったり、物欲が薄かったり、ミニマリストという不便そうな生活が流行っている理由もすんなり理解していただけるのではないでしょうか?
以上、「評価経済社会」でわかった未来を知る方法でした。本書のまとめの後編では、ミレニアル世代が生み出していく評価経済社会とはなにか?という本題を解説してきます。こちらも併せて参考にしてください。