
なぜ、ザッポスは成功したのか?
ザッポスは2000億円でAmazonの傘下に入った靴の通販会社で、CEOのトニー・シェイは伝説的な起業家です。このトニー・シェイがどのようにザッポスを成功に導いたのかを解説します。
ザッポス伝説
初版:2010年12月13日
著者:トニー・シェイ
なぜザッポスは成功したのか?
ザッポスという会社をご存知でしょうか?
わたしは通販業界で働いていたこともあり、よくザッポスの名前は耳にしていました。アメリカで有名な靴の通販会社です。今はAmazonの傘下に入っています。
ザッポスのCEOを務めるトニー・シェイもザッポスと同様に有名で、シリコンバレーでは伝説的な起業家です。
トニー・シェイは大学を卒業し、オラクルに入社します。しかし、オラクルの研修に飽きてしまい、昼休みの時間を活用して副業を始めます。
そして、その副業が上手くいきだして、最初は1時間だった昼休みが2時間、3時間と延びていきます。最終的には午後の時間をすべて副業に充てるようになったといいます(笑)
研修中なのに、午後はすべて副業に充てて社外で過ごしていたわけですから、もう意味がわかりません。そうしているうちに、会社を辞める決意をし、入社半年で退職します。
その後、2年半リンク・エクスチェンジという会社を経営し、マイクロソフトに200億円で売却しました。
トニー・シェイが、その次に本格的に経営に携わったのがザッポスです。ザッポスも経営10年目にAmazonの傘下に入り、その時の金額が2000億円だったと言われています。つまり、1社目の起業も2社目の経営も1年で10億円ずつということになります。
では、なぜザッポスは成功を収めたのでしょうか?ザッポス伝説の中に3つの理由が書かれています。
- マーケットの選択
- 強みに集中する
- ザッポス・カルチャー
この3つです。それぞれどういう意味か、解説していきます。
マーケットの選択
これはトニー・シェイがもっとも強調していたビジネス上の注意点です。
マーケットの選択とは、十分に市場規模があり、勝算のある市場でビジネスをスタートすることを言います。
ビジネスでも、起業家やCEOにとって、何のビジネスに身を置くかは最も大事な意思決定です。それが参入すべきでないビジネスだったり、マーケットが小さすぎたら、事業がどんなに完壁に運営されているかは関係ありません。
たとえば、あなたは最も効率的な七本指の手袋メーカーだとします。そして、七本指の手袋の最高に素晴らしい品揃え、最高のサービス、最良の価格を提供しますーしかし、商品を売る市場が十分に大きくなければ、大きな成果は得られないでしょう。
あるいは、ウォルマートのような確立した強い競争相手と(たとえば、同じ商品をさらに低価格で販売して)同じ土俵で直接競合するビジネスを始めようと決めた場合、おそらくあなたの事業は立ち行かなくなることでしょう。
トニー・シェイ自身はザッポスとはベンチャーキャピタリストとして出会っています。
つまり、最初は”ザッポスという会社を創るので投資してください”という話がトニー・シェイに舞い込んできたのです。そのとき、トニー・シェイはザッポスが靴をネット通販で売ろうとしていることを知り、すぐに断ろうとします。なぜなら、靴のように試着が必須な商品がネット通販で売れるわけがないと思ったからです。
しかし、次の言葉を聞き、一転して投資を決めます。
それは、靴の市場は1000億円あり、すでに20%がカタログ通販で売られている、ということです。
つまり、靴の通販市場は200億円もあったのです。当時はネットで靴を売っている会社は皆無でしたから、紙のカタログ通販からネット通販に顧客を獲得することができれば、かなりの売り上げになることが予想できました。
そして、カタログ通販よりもネット通販のほうが利便性が高く、顧客の獲得は可能だと判断したトニー・シェイはザッポスへの投資を決めます。このようにビジネスは、どんなマーケットでスタートするかがとても重要です。これがザッポスが成功した1つ目の理由です。
強みに集中する
ザッポスが成功した2つ目の理由は、徹底的に強みに集中したことです。
ザッポスの強みとは、最高のカスタマー・サービスです。これはザッポスの代名詞にもなっています。いまではAmazonや楽天も翌日配送をしていますし、早ければ当日中にも届けてくれます。しかし、この翌日配送を始めたのはザッポスです。
ザッポスは立ち上げ当時ドロップシップという方式で靴を販売していました。ドロップシップとは、自社で在庫を持たず、注文が入ったら、靴メーカーと連携してメーカーから顧客に商品を配送してもらう方式です。しかし、この限界に気づき、途中から自社で在庫を持ち始めます。
そうしたとき、通常であれば倉庫会社に委託して商品管理や配送を依頼するところですが、ザッポスはそれも選択しません。最高のカスタマー・サービスのため、自社で独自の倉庫(WHISKY倉庫)ノウハウを構築していきます。その結果、生まれたのが翌日配送などのカスタマー・サービスです。
そして、ザッポスはさらに難しい判断を下します。
私たちのドロップシップ・ビジネスでは、メーカー側からもらう在庫情報は正確さが最高でも95%でした。つまり、私たちはドロップシップの注文の5%については実際に対応できていなかったのです。そのうえ、メーカー側は私たちがWHISKY倉庫でしていたほど迅速にも正確にも発送していませんでした。つまり私たちに不満を持ったり、失望した顧客がたくさんいたということでした。しかし、ドロップシップは楽に稼ぐ方法でした。まさに最高のカスタマー・サービスを意味するザッポス・ブランドを築き上げることに真剣なら、遅かれ早かれこのドロップシップの事業をやめるべきだと、私たち全員が心の奥底ではわかっていました。また、私たちが成長して大きくなるほど、ドロップシップから得られる現金にますます依存するのもわかっていました。これから先、やめるのに都合のいいタイミングがくるはずはありませんでした。引き金を引くのが長引くほど、私たちに対して不信感を抱く社員が増え たことでしょう。
そこで、私たちはそれまでで最も簡単であると同時に最も難しい決断を下しました。2003年3月、スイッチを切り替え、私たちはドロップシップをやめて、ウェブサイトからドロップシップの商品をすべて外しました。
驚くべきことに売上の柱であったドロップシップでの販売をやめてしまうのです。このとき、ザッポスの財務状況は決して良好ではありませんでした。ウェルズ・ファーゴに融資の依頼をしており、融資が認められなければ数ヶ月後に倒産するという状態でした。
そんな中で、売上の20%か30%か(正確には記載がなかったですが)を占めていたドロップシップでの販売をやめる決断を下したのです。トニー・シェイ、本当にすごい…
また、ザッポスのカスタマー・サービスの最高さをあらわす、もう1つの顧客接点があります。それは”電話”です。
電話をブランディングのツールとして用いているもうひとつの例は、私たちの在庫にない特定のサイズの特定のスタイルの靴を探している顧客から電話があった場合にどうするかです。そのような場合には、どのオペレーターも、競合他社少なくとも三社のウェブサイトを調べ、在庫を見つけた時は顧客に他社のサイトを教えるように訓練されています。
明らかに、この場合、私たちは売上げを失うことになります。しかし、私たちはひとつひとつ すべての応対業務で生じる利益を最大にしようとはしていません。その代わり、私たちは電話に 一ずつ対応し、顧客ひとりひとりと生涯続く関係を築こうとしているのです。
自社で取り扱いのない靴について問い合わせがあったら、オペレーターが他社のサイトで探して、顧客にオススメをするのです。
さらに通常のコールセンターでは1日に対応件数の目標数が決められていたり、1件あたりの対応時間を短くしたりしますが、ザッポスは真逆をいきます。対応件数や対応時間の目標はなく、1つの対応で6時間も顧客と電話をしていたという記録もあるそうです。
このようにザッポスは最高のカスタマー・サービスという強みを徹底的に強化してきました。これもザッポスが成功した理由の1つです。
ザッポス・カルチャー
ザッポスが成功した理由の3つ目は、その文化にあります。
ザッポス・カルチャーと呼ばれるザッポスの文化ですが、これにはトニー・シェイの強い思い入れがあります。トニー・シェイは、1社目のリンクエクスチェンジのときは理念を共有する仲間と会社を作れなかったと考えていたからです。なので、ザッポスではどんなに経営が苦しくても、どんなに目先の利益が魅力的に映っても、”文化”を守って経営をしています。
そのため、ザッポスがシリコンバレーからラスベガスに移転したときのことを、このように振り返っています。
今にして思えばわかりきったことですが、おそらくラスベガスに移転して一番よかった点は、誰もザッポス以外に友人がいないことでした。そのため、私たちはみんなオフィスの外でもいわば一緒に過ごすほかなかったのです。ワクワクするような時期でした。私たち全員、一緒に人生の新たなステージを迎え、新しい付き合いの輪を広げていました。私たちは寝ている間以外のほとんどの時間、一緒に働き、プライベートでも一緒に過ごしていたのです。サンフランシスコで、私たちは企業にとってカルチャーが大切だと常々言っていましたが、それは、企業文化が完全に崩壊してしまったリンクエクスチェンジと同じ間違いを再び犯したくなかったからでした。
そして、ザッポスにはその文化をあらわすザッポス・カルチャー・ブックという取り組みがあります。
「そうだ」私は関きました。「社員全員に、ザッポス・カルチャーが自分にとってどんな意味を持つのか手短に書いてもらおう。そしてそれを本にするんだ」
こんな風にしてザッポス・カルチャー・ブックのアイデアは生まれ、それ以来それはザッポスにとって不可欠なものとなっています。毎年、ザッポス・カルチャー・ブックの改訂版が作られ、私たちはこの本を採用内定者、メーカーなど取引先、そして顧客にも配っています。
このザッポス・カルチャー・ブックは、検閲・修正もなく、全社員が書いたとおりに製本されます。そして関係者に配布されているそうです。
また、ザッポスが文化を大切にしているあらわれとして、もう1つユニークな取り組みがあります。
採用の後、文化を築き上げていくための次なるステップが研修です。本社採用になった人は全員、配属先や役職に関係なく、カスタマー・ロイヤルティ・チーム(コール・センター)のオペレーターが受ける研修と同じ研修を受けることになっています。会計士も、法律家も、ソフトウエア開発者も、まったく同じ研修を受講します。
この四週間の研修プログラムでは、社史、カスタマー・サービスの重要性、会社の長期ビジョン、企業文化に対する価値観について学び、その後は実際に二週間、顧客からの電話に対応する実地研修があります。これも、カスタマー・サービスは単に一部門ではなく、全社を挙げて実行するという私たちの信念からくるものです。
研修第一週目を終えた時点で、私たちは研修受講者全員にある提案をします。辞める人には誰でも2000ドルを(すでに働いた時間分の給与に加えて)支払うというもので、このオファーは四週間の研修終了時まで有効です。
なんと研修中に、ザッポスの文化とは合わないと感じた人は退職すれば20万円が支払われるというのです。お金を払ってでも、文化に合わない人は入れたくないというのです。ザッポスの文化に対する強いこだわりを感じます。
以上、マーケットの選択・強みに集中する・ザッポスカルチャーの3つがザッポスが成功した3つの理由でした。次章では、トニー・シェイがもっとも思い入れをもって守ってきたザッポス・カルチャーについて解説します。
ザッポス・カルチャーとは?
ザッポスには10個のコア・バリューがあります。それが、こちらです。
- サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
- 変化を受け入れ、変化を推進する
- 楽しさとちょっと変なものを創造する
- 冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
- 成長と学びを追求する
- コミュニケーションにより、オープンで誠実な人間関係を築く
- ポジティブなチームとファミリー精神を築く
- より少ないものからより多くの成果を
- 情熱と強い意志を持て
- 謙虚であれ
この10個のコア・バリューはザッポス・カルチャーを反映したもので、社員とともに1年以上の時間をかけてつくり上げたものです。候補となったフレーズや要素が「ザッポス伝説」に紹介されていましたが、50個以上はありました。それらから推敲を重ねて、この10個のコア・バリューに統合と絞り込みがなされました。
なぜ、ザッポス・カルチャーが生まれたのか?
ザッポス・カルチャーが生まれた背景には2つの要因があります。
- リンクエクスチェンジでの失敗
- トニー・シェイのミッション
です。
リンクエクスチェンジでの失敗については、すでに説明したとおりです。起業から2年半で200億円で売却したのですから、大成功のように見えますが、トニー・シェイはそう感じていませんでした。
むしろ、好きで始めた仕事が、だんだんつまらなくなっていくことに疑問を感じていました。なぜ、リンクエクスチェンジの仕事はワクワクしなくなったんだろうか?と内省を繰り返します。
その結果、創業時の文化を維持できなかったからだという結論にたどり着きます。自分と理念を共有するメンバーで仕事をしていたときは、あんなに楽しかったのに。途中から利益や事業の拡大を優先して人を雇うようになり、リンクエクスチェンジの仕事がつまらないものになってしまいました。
そこで、ザッポスの経営に携わったトニー・シェイは理念を共有できる仲間だけを雇う、と心に誓います。
では、トニー・シェイのミッションとは、どんなものだったのでしょうか?本書に、このようなことが書かれています。
そこで、これまでの人生で最高に幸せを感じた時のリストを作ってみてわかったのは、幸せを感じたどの時も、お金を伴ってはいなかったということでした。わかったのは、何かを作っているとか、クリエイティブで独創的でいると私は幸せだったということでした。夜明けまで一晩中友人と電話でしゃべっていると幸せでした。中学時代に一番仲よしの友人たちとハロウィーンのお菓子をねだりながら近所を回っていると幸せでした。水泳大会の後にベイクドポテトを食べると幸せでした。ピクルスで幸せでした(これについては、今も理由がわかりません。間違いなくピクルスが美味しいのと、「ピクルス」と言うのが楽しかったからでしょう)。
そして考えたのが、私たちはみな、自分の属する社会と文化によって、どれほどあっけなく、自分で考えることをやめ、結局のところ幸せとは人生を楽しむことであるのにもかかわらず、既定のこととしてお金がたくさんあることイコールより多くの成功と幸せだと思い込むように洗脳されているのか、ということでした。
もちろん、トニー・シェイはお金が不要だとは言っていません。しかし、お金は自由になるための手段であって、目的ではないと言っているのです。
私にとってお金とは、歳を取ってから何でもしたいことができる自由が与えられることを意味していたので、私はいつもお金を稼ぐことを夢見ていました。いつか自分の会社を経営するというアイデアも、創造性を発揮でき、いずれは自分の望むような人生を送れることを意味していました。
また、トニー・シェイの価値観がよくあらわれたエピソードがあります。リンクエクスチェンジを売却し、まだザッポスの経営に携わっていないときの話です。
ある高級マンション(ロフト)が新しく開発されているということを聞きつけます。そこには居住区だけでなく、映画館、ジム、レストラン、商業施設などができあがる予定でした。そして、そのマンションに仲間とともに移り住み、住民の20%もが自分の仲間たちだったといいます。
その街区全体を不動産開発業者たちが引き受け、このスペースを作り上げるために二つのビルを一体化したのだそうです。ロフトと映画館に加え、スポーツジム、レストランになる予定のエリア、まだ貸し出されていない商用スペースもありました。
はほかの元リンクエクスチェンジのメンバーにこの物件のことを話しました。そして決まったメンバーでいつもつるんでいた大学時代のことを思い起こしました。ここに大学の学生寮の大人版を作り、自分たちのコミュニティを築けそうでした。自分たちの世界を作り上げるチャンスとして、申し分ないものでした。
ひとりずつ、仲間たちがここのロフトに引っ越し、アルフレッドは私の二軒隣のロフトに住むことになりました。仲間全員が引っ越してきた頃には、私たちは合わせてこのビルのロフトの20%を所有し、自治会役員の40%を占めていました。まるで、モノポリーの現実版で遊んでいるようでした。しかも、パジャマ姿で友人の住まいや映画館にぶらりと行かれるこの気楽さや便利さにかなうものはありませんでした。
ザッポスがサンフランシスコからラスベガスに移転した時も同様ですが、トニーシェイはこうした強いつながりや楽しさを好んでいます。そして、ザッポス・カルチャーはトニー・シェイのミッションが色濃く反映されています。
リンクエクスチェンジでの失敗から、自身のミッションを明確にし、ザッポスは理念を共有できる仲間だけを雇って事業を拡大してきました。これがザッポス・カルチャーが生まれた理由です。
以上、ザッポス伝説でわかったザッポスが成功した3つの理由でした。気になる方は、ぜひ本書を読んでみてください。