
美意識とは、真・善・美の判断基準のことです。
これは経営の1要素で、現在その重要性が増しています。なぜなら、クラフトとサイエンスの経営が行き詰まっているからです。本稿では、この経緯と美意識の鍛え方を解説します。
世界のエリートは、なぜ「美意識」を鍛えるのか?
初版:2017年07月19日
著者:山口周
目次
経営の3要素とは、なにか?
経営には3つの要素があります。
- クラフト
- サイエンス
- アート
この3つです。このアートが美意識にあたります。
そして、本書ではクラフトとサイエンスの経営が行き詰まりを示しており、世界のトップ企業はアート(美意識)を重視していると説いています。
ちなみに、
- クラフトは、経験則
- サイエンスは、仮説と論理
- アートは、美意識
のことを指しています。クラフトとサイエンスを理解することはアートの理解にもなりますので、クラフトとサイエンスを含めた3要素を解説していきます。
ビジネスの世界はもともと3要素が揃っていたわけではありません。かなり長い間、ビジネスははクラフト(経験則)のみで行われていました。しかし、途中からサイエンス(仮説と論理)を導入するようになります。そして、ビジネス界にそのサイエンスを持ち込んだのは、マッキンゼー社なのだそうです。
マッキンゼー中興の祖であるマービン・バウアーは、戦略コンサルティング業界そのものを構想した人ですが、彼のビジョンの凄さは、それまで「クラフト」に偏重していた企業組織の意思決定に、事実と論理に基づく意思決定、つまり「サイエンス」を導入したことです。
そのため、コンサルティング業界の変遷(クラフトからサイエンスへ)を見ると、クラフトとサイエンスが一体どんなものかを理解できます。なので、本書から引用してコンサルティング業界の歴史を解説します。
まず、マッキンゼーがサイエンスを導入する以前です。
マービン・バウアーが登場するまで、コンサルティングは、業界を引退した経験豊富な人材によるアドバイスが主流でした。こういったコンサルタントはほとんどが高齢で白髪だったため、このような「豊富な経験に基づくアドバイス」をグレイヘアコンサルティングアプローチと言います。読者のみなさんはすでにおわかりと思いますが、このようなアプローチ は、当然ながら「クラフト」に偏重したものにしかなり得ません。
そして、こう続きます。
そして出した結論が、事実と論理に軸足をおいたコンサルティングサービス、今日ではファクトベースコンサルティングアプローチと呼ばれるサービスの提供です。このアプローチであれば、サービスを提供するコンサルタントは、事実を収集し、集めた情報を正しく論理的に処理できる程度の知能があればよく、従って経験を持たない若い人でも提供することが可能ですから、採用とトレーニングによっていくらでも規模を大きくすることができます。
果たせる哉、その後、ファクトベースコンサルティングアプローチは、業界の主流となり、マッキンゼーは今日では1万人以上のコンサルタントを抱える巨大ファームにまで成長しました。
つまり、
- クラフト重視:グレイヘアコンサルティングアプローチ
- サイエンス重視:ファクトベースコンサルティングアプローチ
マッキンゼーによってコンサルティングはクラフト重視からサイエンス重視にシフトしました。この変化の波は、他の業界にも波及していきます。世界のトップ企業がこぞってサイエンスを経営に持ち込んだのです。
その結果、クラフトとサイエンスに加えて、アートが重要になる時代が到来しました。クラフトとサイエンスの限界、アートの可能性については次章で解説します。
なぜ美意識の時代なのか?
美意識とは、経営の3要素の1つであるアートのことをいいます。
では、クラフト(経験則)とサイエンス(仮説と論理)で進めてきた経営に、なぜアート(美意識)が必要になっているのでしょうか?理由は3つあります。
- 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
- 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
- システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
それぞれ、どういう意味か本書から引用しながら解説します。
論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
最も多く指摘されたのが「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」という問題です。この問題の発生については、大きく二つの要因が絡んでいます。
一つ目は、多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、世界中の市場で発生している「正解のコモディティ化」という問題です。
長いこと、分析的で論理的な情報処理のスキルは、ビジネスパーソンにとって必須のものだとされてきました。しかし、正しく論理的・理性的に情報処理をするということは、「他人と同じ正解を出す」ということでもあるわけですから、必然的に「差別化の消失」という 問題を招くことになります。…
二つ目は、分析的・論理的な情報処理スキルの「方法論としての限界」です。
つまり、クラフトとサイエンスだけでは、①正解がコモディティ化する上に、②正解にたどり着けないこともあるというのです。
正解がコモディティ化するのは、論理的思考だと仕方のないことです。なぜなら、世界中の企業がしのぎを削って、あらゆる情報を集めているからです。その結果、似たようなインプットに収束してしまいます。インプットが似ていれば、論的思考の結果、似たようなアウトプットが生まれます。これが正解のコモディティ化です。
そして、正解にたどり着けないというのは、論理的思考の限界です。真理を追求するのに、哲学と科学の両方が存在するのはこのためです。科学的アプローチ(論理的な思考)だけでは、真理にたどり着けないため、哲学的アプローチ(たとえば美意識)も生き残っているのです。
世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ウィリアム・フォーゲルは「世界中に広まった豊かさは、全人口のほんの一握りの人たちのものであった『自己追求』を、ほとんどの 全ての人に広げることを可能にした」と指摘しています。
人類史においてはじめてと言っていい「全地球規模での経済成長」が進展しつつあるいま、世界は巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつあります。このような市場で戦うためには、精密なマーケティングスキルを用いて論理的に機能的優位性や価格競争力を形成する能力よりも、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になります。
世界が自己実現的消費に向かいつつあるというのは、性能や価格などの数字的な優位性だけではモノが売れない時代になっているということです。
たとえば、Apple製品などは典型例です。わたしもApple社のPCを使っていますが、単純な性能比較ではWindowsのPCを買うほうが合理的に感じます。CPUや容量、ソフトの拡張性、値段などWindowsに軍配が上がる点は多々あります。
しかし、Appleというカッコよさ、Apple製品を使っている自分を考えると、Apple製品を買ってしまいます。これが自己実現的消費です。こうした消費行動に刺さる商品を考えるのも、やはりクラフトとサイエンスでは難しいです。
システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
現在、社会における様々な領域で「法律の整備が追いつかない」という問題が発生しています。システムの変化に対してルールが事後的に制定されるような社会において、明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実定法主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険です。
- 法的に問題がないか?
- 世間が問題だと言わないか?
- 他社もみんなもやっているか?
このような視点での判断が、正しくない領域が増えているということです。いままでは変化が激しくなかったため、法律を遵守していれば善なる判断ができました。しかし、いまは法律を遵守しているだけでは、善なる判断が約束されていません。
そうした観点でも、アート(美意識)が重要になっています。
美意識を鍛えるには、どうすればいいか?
まず、美意識とは、真・善・美の判断基準のことをいいます。そして、著者は美意識を外部に持つのではなく、内部に持つことが重要であると述べています。
以上、ここまで、経営における「真・善・美」の三つの判断について、これまで長いこと普遍的な基準とされてきた「論理」(=「真」の判断)や「法律」(=「善」の判断)や「市場調査」(=「美」の判断)といった「客観的な外部のモノサシ」から、「真・善・美」のそ れぞれについて、「真」については「直感」、「善」については「倫理・道徳」、「美」については「審美感性」という「主観的な内部のモノサシ」への比重の転換が図られていることを説明しました。
ここで問題になるのは”では、どうすれば美意識を身につけられるのか?”ということです。本書では3つの方法がオススメされていました。
- 絵画を見る
- 哲学を楽しむ
- 文学を読む
絵画・哲学・文学の3つです。それぞれの重要性について、本書から引用して解説します。
絵画を見る
2001年、エール大学の研究者グループは、アートを見ることによって観察力が向上することを証明しました。「米国医師会報」には、医大生に対して、アートを用いた視覚トレーニングを実施したところ、皮膚科の疾病に関する診断能力が56%も向上したことが報告されています。また、同報告書では、直接的な疾病に関する診断能力だけでなく、全般的な観察能力、特に細部の変化に気づく能力が10%向上したこともレポートされています。
哲学に親しむ
エリートの見識を養成するための教育施策として最も普遍的に行われているのが、哲学教育です。17世紀以来、エリート養成を担ってきた欧州名門校の多くにおいて、理系・文系を問わずに哲学が必修となっていることはすでに紹介しました。あるいは現在でも、経営幹部の教育研究機関として著名な米国のアスペン研究所では、哲学に関する講座が主要プログラムの一つとなっており、全世界から集まるグローバル企業の幹部が、風光明媚なアスペンの山麓で、プラトン、アリストテレス、マキャヴェッリ、ホッブズ、ロック、ルソー、マルクスといった哲学・社会学の古典をみっちりと学んでいます。
本書執筆のためのリサーチとして、複数の日本企業・海外企業の経営人材育成担当者にインタビューをさせていただきましたが、最も「思想として違うな」と感じたのは、この「哲学教育」の部分でした。
誤解を恐れずに言えば、海外のエリート養成では、まず「哲学」が土台にあり、その上で功利的なテクニックを身につけさせるという側面が強いのに対して、日本では、土台となる部分の「哲学教育」がすっぽりと抜け落ちていて、ひたすらにMBAで習うような功利的テクニックを学ばせている、という印象を持ちました。
文学を読む
自分にとっての「真・善・美」を考えるにあたって、最も有効なエクササイズになるのが「文学を読む」ことだと思います。
地下鉄サリン事件の後、あれほど高学歴の人々がなぜかくも愚かで邪悪な営みに人生を捧げようとしたのか、という疑問を晴らすために、オウム真理教の幹部にインタビューを重ねた宮内勝典氏は、彼らがことごとく文学に親しんでいないことに気づいた、と著書の中で記しています。