読書会in東京:古典は面倒だけど教養を身につけるのにオススメな1冊とは?

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教養を身につけるには?

「ホモ・デウス」がオススメです。古典には①自分のパラダイムに気づく、②パラダイムが変化することに気づく、③次のパラダイムを受け入れられるという価値があります。しかし、この価値を享受するには、実は古典を読むよりもオススメな本があります。

それがホモ・デウスです。本稿では古典を読む価値から、ホモ・デウスがオススメな理由を紹介します。

開催報告:20代読書会in東京

日時:10月20日(土)09:30-12:00

参加者:13名(男性:7名、女性:6名 初参加:3名、リピーター:10名)

MVP賞

頭のゴミを捨てれば、脳は目覚める

紹介された本

  • 好きなことだけで生きていく
  • 君たちはどう生きるか
  • 金融マーケット予想ブック
  • 僕は君たちに武器を配りたい
  • 働き方の損益分岐点
  • 合コンの社会学
  • 不合理だから、うまくいく
  • 世界のエリートは、なぜ「美意識」を鍛えるのか
  • ホモ・デウス

なぜ、古典を読むのか?

古典を読むべき理由は、3つあります。

  • 自分のパラダイムに気づく
  • パラダイムが変化することに気づく
  • 次のパラダイムを受け入れられる

そして、古典を読むべきとオススメする人は昔から多くいますし、古典には根強い人気があります。山口周さんも著書「世界のエリートは、なぜ「美意識」を鍛えるのか?」の中で、このように記されています。

エリートの見識を養成するための教育施策として最も普遍的に行われているのが、哲学教育です。17世紀以来、エリート養成を担ってきた欧州名門校の多くにおいて、理系・文系を問わずに哲学が必修となっていることはすでに紹介しました。あるいは現在でも、経営幹部の教育研究機関として著名な米国のアスペン研究所では、哲学に関する講座が主要プログラムの一つとなっており、全世界から集まるグローバル企業の幹部が、風光明媚なアスペンの山麓で、プラトン、アリストテレス、マキャヴェッリ、ホッブズ、ロック、ルソー、マルクスといった哲学・社会学の古典をみっちりと学んでいます。

世界のエリートは、なぜ「美意識」を鍛えるのか

また、ライフネット生命の出口治明さんは「本物の教養」の中で、古典の価値は「教養」にあると述べておられました。

教養にはタテとヨコの2軸があり、タテは時間軸・ヨコは空間軸です。ヨコを広げるには旅をしたり、人と出会ったりすることが重要で、タテを深めるためには古典を読むべきとおっしゃっています。

本物の教養

では、なぜ古典を読んで教養を身につける必要があるのでしょうか?

「多動力」の中でホリエモンは、

教養なき者は奴隷となる

時代であると述べています。なぜなら、教養とは本質がわかることであり、教養があれば変化の速い時代でも振り回されることがなく済むからです。

参考:20代で教養を身につける2つの方法とは?

このように、古典を読むことは教養につながり、教養は時代を生き抜く術につながるようです。そして、突き詰めていくと古典は、この3つの価値にたどり着きます。

  • 自分のパラダイムに気づく
  • パラダイムが変化することに気づく
  • 次のパラダイムを受け入れられる

それぞれ、どういう意味なのかを解説していきます。

自分のパラダイムに気づく

パラダイムとは、前提となるモノの見方、です。

同じモノを見ても、見方によって全く異なる解釈となります。そして、その見方が前提となり過ぎて意識されないため、異なるパラダイムの人同志が出会うと問題が絶えません。

例えば、この画像を見てください。皆さんは、これはなんの絵に見えますか??

パラダイム

ウサギと答える人もいれば、アヒルと答える人もいるでしょう。この絵であれば、ウサギからアヒルに見方(パラダイム)を変えることは簡単です。逆もまた然りです。

しかし、あまりにも深く染み付いたパラダイムだと、簡単に切り替えることはできません。そして、古典を読む価値の1つは、自分が持っているパラダイムに気づくことができることです。なぜなら、古典は現代とは異なるパラダイムで書かれているからです。

そうした現代とは異なるパラダイムに触れると、逆説的に自分が持っているパラダイムに気づくことができます。

例えば、デカルトの「方法序説」を読むと、前半は現代の科学に通じるものがあることを書いています。観測とデータ、論理のような話です。しかし、後半は神の存在証明となります。そして、この神の存在証明に入ると、なにを言っているのかさっぱりわからなくなります(笑)

これは前半は現代にも残っているパラダイムで、後半は残っていないパラダイムだからです。こう考えていくと、自分がもっているパラダイムの存在に気づくことができます。これが古典を読む価値の1つ目です。

パラダイムが変化することに気づく

古典を読む価値の2つ目は、パラダイムが変化することに気づけることです。

古典のパラダイムと現代のパラダイムが異なるので、パラダイムが変化することは当たり前です。しかし、現代のパラダイムも絶対的なものではないと気づけるか否かは大きな分岐点となります。

多くの人は、100年前・1000年前・1万年前のパラダイムに触れると、古臭く感じます。そして、「なんで、そんなバカなことを信じていたんだ?」と理解しがたいです。

例えば、

1万年前であれば、人類が農耕を始めた時期です。農耕を始める前は、世界中でアニミズム信仰が一般的でした。なので、森林の中でヒグマに出会ってしまったら、ヒグマに話し合って襲われないようにしていました。

もちろん、動物だけでなく、岩や木、川、海など自然界のあらゆる存在は人間と対等だったわけです。しかし、現代人はこの話を聞いても、なんて幼稚な発想なんだと感じてしまうでしょう。

また1000年前であれば、中世と言われる時期です。中世は、教会がすべての価値基準でした。なので、協会が十字軍の遠征を指示すれば、「これで天国に行ける!」と目を輝かせて従軍していました。

他にも職業ギルドが生産を規定していたので「勤勉に働くことは悪、規定以上に生産するのも悪」と考えられていました。しかし、現代人はこの話を聞いても、不思議な時代だなあと感じてしまうでしょう。

そして100年前であれば、20世紀に突入したばかりです。20世紀は、自由主義VS社会主義VSファシストの時代です。そして、もっとも勢いがあったのは社会主義で、世界中の知識人は「21世紀は社会主義の時代」と考えていました。

そして日本でも学生運動が盛んになり、赤軍と呼ばれる人たちがハイジャックをしたり、立て篭ったりして事件となりました。しかし、現代人はこの話を聞いても、「自由主義のほうがいいに決まってるじゃん。変なものに熱くなる人もいたんだなあ」と理解できません。

どうでしょうか??どの時代のパラダイムを見ても、古臭く感じませんか??

これと全く同じことが、50年後には起きてます。つまり、2050年になって2000年の世界を振り返ったら、「なんで、あんなことに一生懸命だったんだろう」を理解できなくなっています。

このように、いま自分が持っているパラダイムも絶対ではないということに気づくのが、古典を読む価値の2つ目です。

次のパラダイムを受け入れられる

古典を読む3つ目の価値は、次のパラダイムを受け入れられるようになることにあります。

次のパラダイムを受け入れるには、前提として

  • 自分のパラダイムに気づく
  • いまのパラダイムが絶対的ではないことに気づく
  • 次のパラダイムを理解する

この3つが必要です。1つ目と2つ目は、まさに古典を読む価値の1つ目と2つ目です。

そのため、古典を読んで1つ目と2つ目の価値を享受した上で、次のパラダイムを理解すれば、次のパラダイムを受け入れることも可能になります。

そして、古典を読んでいくと、なぜ今のパラダイムが構成されているのか?を理解することができるようになります。

例えば、ホモ・デウスに書かれていますが、今の世界は人間至上主義の中でも自由主義が主流です。自由主義とは、個人主義・人権・自由市場によって構成されています。

現代人で「日本人の命はスーダンの子供の命よりも尊い」などと発言する人はいないですし、そう考える人もいません。これは世界中の人に平等な「人権」が存在すると考えているからです。しかし、中世ではキリスト教徒は異邦人の命に価値を置いていませんでした。

他にも、ある企業が有識者を集めて、世界最高の車を製造して販売したとしましょう。それなのに、その車がまったく売れなかったら、どうでしょうか??世界最高の車は世界最高じゃなかったと認識されるでしょう。誰も「この車を理解できない顧客が悪い!」なんて言いません。これは「自由市場」というパラダイムだからです。

しかし、中世では「このパンが最高。このパンを買うべき。」という価値判断をギルドが決めていました。顧客が判断する余地はありませんでした。

このように、古典を読むと、今のパラダイムを構成する要素を理解できるようになります。そして、それと同時にそれらの要素が変化しつつあることにも気づきます。その結果、次のパラダイムをいち早く理解して、過去になりつつある今のパラダイムを捨てることが可能です。

これは、大きな価値です。明治維新のとき、いち早く刀を捨ててちょんまげを切った人たちは、成功していきました。明治になっても、刀を振り続けた人は時代とともに淘汰されていったのです。

今の時代も同じです。過去のパラダイムにしがみつく人たちは、時代とともに淘汰されていきます。次のパラダイムをいち早く理解することは、計り知れない価値があります。これが古典を読む3つ目の価値です。

古典を勉強してはいけない

古典の価値は、

  • 自分のパラダイムに気づく
  • パラダイムが変化することに気づく
  • 次のパラダイムを受け入れられる

の3つにあります。そのため、古典を必要以上に読み込んだり、勉強したりしても効果は薄いです。なぜなら、古典から次のパラダイムが生まれることはないからです。

ホモ・デウスも、このように書かれています。

100年前には時代の先端を行っていた社会主義は、新しいテクノロジーにはついていけなかった。レオニード・ブレジネフとフィデル・カストロは、マルクスとレーニンが蒸気の時代にまとめた考え方にしがみつき、コンピューターとバイオテクノロジーの力を理解しなかった。それに対して自由主義者は、情報時代にずっとうまく適応した。一九五六年のフルシチョフの予言がついに実現しなかった理由も、結局は自由主義の資本主義者がマルクス主義者を葬り去った理由も、部分的にはこれで説明できる。もしマルクスが今日生き返ったら、かろうじて残っている信奉者たちに、『資本論』を読む暇があったらインターネットとヒトゲノムを勉強するように命じることだろう。

古典から次のパラダイムが生まれないのは、古典には次のテクノロジーへの回答がないからです。

例えば、ユダヤ教やキリスト教の聖書を古典と考えたとき、それらにはバイオテクノロジーやコンピューターアルゴリズムへの答えはありません。こうしたテクノロジーが生まれる何千年も前に書かれているので仕方のないことです。

ただ、ユダヤ教やキリスト教は、生まれた当時の最新テクノロジーへの回答を持っていました。当時は人類が農耕を開始し、人類史上初めて「身分」や「家畜」が生まれた時代です。こうした当時の最新テクノロジーへの回答を持っていたからこそ、主流なイデオロギーとなれたわけです。

そのため、必要以上に古典を勉強しても効果は薄いです。わたしのように教養の浅い人間だと、古典を読み込んで現代のパラダイムに気づいたり、過去のパラダイムを理解したりするには相当な時間がかかってしまいます。その時間がとてももったいないです。

なので、古典よりも過去から現代のパラダイムを解説した本を読むべきです。そうすると、最短で現代のパラダイムを理解することができます。

その上で、最新テクノロジーを調べていくと次のパラダイムも見えてくるかもしれません。ホモ・デウスの著者も「資本論」よりもインターネットとヒトゲノムを学べと言っている通りです。

古典は面倒だけど教養を身につけるのにオススメの1冊とは?

ホモ・デウス

「ホモ・デウス」が最高にオススメです。

100冊のビジネス書を読むより
100冊の古典を読むより

この1冊を読むほうが、世界の構造がわかります。過去から現代に至るまで、1つの道筋を知ることができます。

この道筋が正しいかどうかは分かりません。しかし、1つのポジションを取ることは、大事です。なぜなら、このポジションを基軸として、様々な情報や意見を精査することが可能になるからです。

例えて言えば、ホモ・デウスは本棚のような存在です。そして、その本棚は、すでに本のカテゴリーわけがされているのです。このカテゴリーわけが、先ほど言ったポジションにあたります。

どんどん本を読んで分類分けをしていった結果、カテゴリーわけを修正する必要が出てくるかもしれません。しかし、なんのカテゴリーわけもせずに乱雑に本を本棚に置いていくよりは、圧倒的に効果的・効率的に本を貯蔵していくことができるでしょう。

ホモ・デウスも同じです。とても、オススメな1冊なので、ぜひ読んでみてください。

以上、読書会でわかった古典は面倒だけど教養を身につけるのにオススメな1冊でした。

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